みなさま、こんにちは。
7月に入り、暑さも本格化してまいりました。
関東地方はこのところ雨の降らない日が続いているので、私はお部屋の暑さ対策としてやたらに洗濯をしています。カーテンやシーツやタオルケットなど。
大きく幅を取るので日を遮ってくれて一石二鳥。(笑)

さて、今日は韓国語に関するお話を書いてみます。

みなさんの中には韓国語を勉強中の方や、日本語を勉強中の人が知り合いにいる方がいらっしゃるかもしれません。

新しい言葉を覚えると「この単語、どこかで使ってみたいな」と思うものですよね。

私は、普段から新しい言葉や造語に関心が高く、すきあらば使ってみたいタイプなのですが、この傾向は韓国語においても発揮され、韓国語でも人との会話やネットで新しい表現に接するとすぐに反応します。

いかにも安っぽい表現や、局地的にしか使われないであろうと判断した言葉はそのまま頭の中にしまわれるのですが、2年ほど経つと親しい大人の友人まで使い始めていたりすることもあるので、造語の淘汰は初見ではなかなかわからないものだと思っています。
「KY」という造語がいつの間にか市民権を得ているのと似た感じとでも言いましょうか。(そして今はまた淘汰の趨勢に入ったでしょうか)

 
1990年代の半ば頃から私も自宅でパソコンを使い始め、韓国の友人とメール交換などをするようになったのですが(韓国はIT面では先を行っていて、誰もが当たり前にネットで通信していました)、実際に会って話しているときには使われない表現が使われたりしていて新鮮でした。その中のひとつが、メールの文末に書かれた[꾸~벅]という文字。(ハングルが出なかったらごめんなさい)

[꾸벅/クボッ]というのはお辞儀をするときの擬態語で、日本語で言えば「ペコリ」。
普通、擬態語が会話の中で面と向かって放たれることはありません。
でも、私的なメール交換という、いわば会話の延長線上には、こうした擬態語もいくらでも出てきます。

なんでもまずは取り入れてみたい私は、まずはお返事に「クボッ」添えて真似してみます。

そのうち、実践で使うとどれだけ違和感を生じさせるものか確かめたくなり、ソウルにいる友人の家に遊びに行ったときに言ってみたんです。

「ねえ、お辞儀のときの擬態語でクボッてあるじゃない? あれって例えば“カムサハムニダ~。ク~ボッ!” みたいに使ったら相手にどんな反応されるもの?」

それを言ったときの夫婦の戸惑った顔がいまだに忘れられません。(笑)

絶対にやめろ、おかしな人だと思われる、変人だと誤解される、と必死の形相なのです。
私がおかしな言葉を覚えたらいけないと心配してくれてのことなのですが、その慌てぶりがあまりにおかしいので、私は調子に乗って「カムサハムニダ~。ク~ボッ!」と今度は頭を下げて言ってみました。もう奥さんのほうときたら泣きそうなほど眉毛を八の字にして「絶対駄目、絶対そういうふうに使っちゃ駄目!」と手をブンブン振るのです。

たしかに日本でも「ペコリ~」などと声に出しても許されるのはゴリエちゃんくらいなので(古っ)、夫婦が必死に止めたのはよくわかります。私も日本語を勉強中の韓国人が「ありがとうございます。ペコリ~」などと言ってきたら、二度といわないよう直すに違いありません。(いや、もしかしたら直さないほうが楽しいかもしれませんが。笑)

こんなふうに、言葉には間違って使った学習者本人より、それを聞いたネイティブのほうが恥ずかしくなるという場面が多々あります。

このケースと逆に、私が実験台に使われたこともありました。

日本に留学中の韓国の友人から電話がきました。一生懸命日本語で喋ってくれているので、私も上達ぶりを褒めながら近況をあれこれ話していました。

ひとしきり話した後、相手が「じゃあ」と言ったので、私も「じゃあ、またそのうちご飯でも食べようね」と言って電話を切る体勢に入りました。

ところが相手は「それでね、このあいだの日曜日にはこんなことがあって・・・・・・」と話を続けるのです。

あれ、何か話し忘れたのかなと思って聞いていたのですが、さほど重要な内容でもないその話がしばらく続き、やっと相手がまた「じゃあ」と言ったので、私も安心して「うん、じゃあね。体に気をつけてね」と今度こそ電話を切ろうとしたのですが、「そうだ、さっきの人がこんなことを言ってね・・・・・・」とまた話を続けるではないですか。

どうして電話を切らないんだろう、なにか私に言いたいことがあるのに言い出せないでいるのかな、それとも困ったことでもあるのだろうかと色々案じていると、突然そのお友だちが話をやめて笑い出しました。

「ごめんね。実はいま実験したんだ」

お友だちは笑いながらこう続けました。

「実はこのあいだ友だちから、“日本では電話を切るときは『じゃあ』って言うんだよ。『じゃあ』って言われたら電話を切りたいっていう合図だよ”と聞いたので、本当かどうか確かめてみたくて」

私は呆気にとられて言葉が出ませんでした。

「でも、本当だったね。『じゃあ』って言ったら電話を切るモードに入ったね。二度ともそうだったね。やっぱりそうなんだ~。確認できてよかった~」

してやられたのは私です。(笑)
だって私は、本当に相手の「じゃあ」で電話を切る体勢に入ったのですから。しかも二度とも。

日本で暮らしていて、そんなことにいままで気を払ったことがありませんでした。
でもたしかに私たちは、電話を切ろうという意思を「じゃあ」という言葉を使って相手に明確に伝達しています。

ところが韓国人が日本語を学ぶ際は、「じゃあ」は「では」の口語として習うのです。
「では、~しましょう」などの「では」です。その砕けた言い方としての「じゃあ」。
「じゃあ、~しようか?」などとしてしか習わないのですね。

でも実際は、電話を切りたい、或いは電話を切るモードに入ったことを伝える暗黙の合図としても「じゃあ」は機能しています。

してやられてバツが悪い思いをしながらも、きっとその友人は日本語が飛躍的に伸びるだろうと私は確信しました。そして現に、今では見違えるほど日本語が達者になりました。



言葉の上達は、やはりチャレンジ精神にありですね。
みなさんも覚えたての言葉があれば、恥ずかしがらずにトライするのみですぞ!
大丈夫です。だって、実際に恥ずかしかったり気まずい思いをするのは、実はそれを聞いたネイティブのほうなのですから。(笑)