みなさま、こんにちは。

『姫の男/王女の男(공주의 남자)』の結末が気になって仕方ない、私と同じ症状のみなさまに一縷の望み情報をお届けいたします。

ススンニムことキム・スンユ(金承琉)、「癸酉靖難(きゆうせいなん/ケユジョンナン)」で殺されたキム・ジョンソの次男とばかり思っていたのですが、なんとなんと、次男ではなく、三男情報が!

『姫の男/王女の男』に魅了され、関連情報を色々検索してみているのですが、「癸酉靖難」の時に殺されたキム・ジョンソの息子については、はっきり分かっているのは長男と次男ということのようです。(これも、物によっては長男とだけ書かれていたりもしますが)
長男はキム・スンギュ、そして私をはじめ視聴者の多くが次男だと思っていたキム・スンユが三男、間に次男キム・スンビョク(金承壁)がいたとの情報発見。
それを早く知っていれば!(笑)

息子たちの名前が記述されている文献名が分かれば、本当に息子は三人なのか、生死はどうなったのか、もう少し調べようもありそうなのですが、そこまでは探せていないので、「スンユは三男の名で、三男は辛くも難を逃れ中国へ渡ったとする文献があるらしい」という程度の情報なのですが、ラストの生死に影響を与えるのではとちょっと期待です。

とはいえ、そもそもこのドラマ自体は『錦渓筆談(クムゲピルダム)』などの野史から着想を得ており、『錦渓筆談(クムゲピルダム)』におけるスヤンの娘とキム・ジョンソの孫との物語をキム・ジョンソの息子に置き換えていますので、この時点で「史実の真偽を追ってどうなる?」の心の声がなくもありません。(笑)
それでもキム・スンユが一緒に殺されたと確定的に書かれたものがないなら、私としては想像の余地が残って嬉しいです。

ちなみに、スヤンによって反逆者の汚名を着せられて殺害されたキム・ジョンソには、本当に子孫が残っています。
キム・ジョンソは殺害からおよそ300年後に完全な名誉回復をとげ、子孫が官職につけるようになりました。
朝鮮王朝第21代の王・英祖(ヨンジョ)の頃のことです。
以来、キム・ジョンソは忠臣として歴史に刻まれているのですが、子孫が多数残っていることから、一族のうち「癸酉靖難(ケユジョンナン)」の時に生き残った者がいることは確実です。

ちなみにこのドラマが設定を拝借している『錦渓筆談(クムゲピルダム)』が読み物として記されたのは、子孫が官職に復帰し、完全に汚名挽回したさらに100年後なんですね。
キム・ジョンソの孫のくだりは語り継がれていたものを書き下ろしたのでしょうか。
想像の域を出ませんが。

さて、22回の放送で、ススンニムが拠点を構えるべく旅立つことになっている咸吉道ですが、ここでは世祖(セジョ)に対抗したイ・シエ(李施愛)が実際に1467年5月に「李施愛の乱」と呼ばれる反逆ののろしをあげ、4ヵ月後の8月に鎮圧されるという一件が繰り広げられました。

22回のドラマの中で大虎将軍の部下だったパク・フンスが「咸吉道には、かつて大虎将軍の頃には潤沢に暮らしていたのにスヤンにより締め付けられることなり、恨みをもつイ・シエという豪族がいる。大虎将軍の息子なら、喜んで意を共にするだろう」とスンユに告げるシーンがあるのですが、これはその人を指していたのですね。

ちなみにこの、パク・フンス、銃筒衛(チョントンウィ)という組織に所属しているのですが、銃筒衛は火砲などの先端武器を専門に扱う集団でした。スヤンの父世宗王の頃につくられましたが、スヤンの時代に火器抑圧政策がとられ、解体されています。
銃筒衛がスヤンに対抗する勢力として描かれているのは、そういうところからきているのですね。

火砲と咸吉道というキーワードを拾っても、面白いことが見えてきます。

スヤンに殺されてしまったキム・ジョンソという人物は、朝鮮半島の北方を主に守っていた人で、豆満江を境に国境線を拡大し、女真族の侵入を防いだことで功績が大きく認められました。
境界を守りつつ北方に人々を定住させたキム・ジョンソは、世宗によって辺境にいながら中央官職に任命され、最終的には中央の最高官僚になります。

キム・ジョンソは1383年生まれで、殺害されたのが1453年ですから、70歳だったということですよね。
「大虎」というあだ名から、きっと朝鮮半島の北方の人なのだろうなと思いましたが(白頭山あたりにかつて虎がいたとはよく聞く話なので)、豪快そうな人物像が見えてきます。

キム・ジョンソが国の境界を守っていた当時、積極的に開発されていたのが火薬を用いた武器だったようです。
武力を強化して他民族の侵入を防ぐ目的があったと思われますが、国境を強固に守ったキム・ジョンソが逆に粛清され、同じく国境を守る者たちとして厚遇されていた北方の公職者や豪族たちはスヤンから抑圧され、結局は銃筒衛も解体されてしまう。
世祖(スヤン)が何を恐れていたのかが透けて見える気がします。

その文脈で起きた「李施愛(イ・シエ)の乱」。
興味深いのは、李施愛の咸興(ハムン)占領時に殺された者の中に、「観察使シンミョン」の名があること。
咸興は朝鮮王朝発祥の地であり、観察使とは行政区域の最高責任者のことです。
シンミョンは目下のところ判官、つまり当時の裁判官でしょうか?
観察使のほうが等級がはるかに上ですので、シンミョンはかなり出生したのですね。(ちなみに観察使は「従二品官」という等級で役職としては序列4番目、判官は「従五品官」で10番目です)
これ、まさか、別のシンミョン、なんてことはないですよね。(笑)

『姫の男/王女の男』、残すところとうとう明日と明後日の二回のみになってしまいましたが、咸吉道にいくということで前回が終わっているので、最後の二回は李施愛の乱を描くことになるのでしょうか。
むむむ!
そうなると、殺されるのはシンミョンのほう?!

なんだか急に、俄然ドラマチック!!

なんて、早とちりはいけませんね。(笑)
それに、私が気になっているのは、李施愛の乱が起きた年代です。
これは世祖13年に起きた事件ですので、これを描くとしたら、ドラマの中でもかなりの年月が経たないといけません。
かつて『ベルサイユのばら』に関して「オスカルとアンドレが結ばれた年を逆算してみたら、オスカルは既に30代半ばだった」と書いている人がいて、正体不明のショックを受けたことがありましたが(笑)、もしやそれに近いことが起こるのでしょうか。

いや、いいのです。それでも結ばれるならいいのですが、歴史的に李施愛の乱は4ヶ月の間世祖に多大なダメージを与えながらも最後には鎮圧され、以後の世祖は北方地域においても強固な体制を築くのです。

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うーむ。
一体結末はどうなるのでしょう。

オスカル・アンドレパターンなのか、はたまた国境を越えて中国へと逃げるのか、はたまたそれ以前の小競り合いで落命の危機なのか。

なんでもいいです。
二人を生かしてください。