みなさま、こんにちは。

最後のブログから2週間ほど経ってしまいました。
気付けば既に12月も半ばにさしかかろうとしています。

昨日の早朝は、早々と初雪が観測されました。
雪と言っても、みぞれでしたが、ここ数日でまたぐっと冷え込んできましたね。
みなさまも、くれぐれも風邪にはお気をつけ下さい。

私はこのところ、新たな翻訳本のお仕事で大忙しになっています。
何の本なのかはまだお知らせする時期ではないので、内容は伏せておきますが、お手に取られるみなさまに少しでもいいものをお届けできますよう、鋭意作成中です。

翻訳と言えば、『姫の男』。
来年1月から衛星劇場で放送されるようですが。
『姫の男』の字幕、私がやりたい~~~~~~!
と、まずは心の叫び。(笑)

それはそうと、日本での正式なタイトルは、『王女の男』になったのですね。
いやはや、ずっと『姫の男』で書き続けてきたのに。
「素直に姫でいいじゃん!」が正直な本音です。
私の中では完全に『姫の男』なのですが。

「キョンヘ姫」のほうが「キョンヘ王女」より語感がいいですが、多分ここも翻訳では王女に統一されるでしょう。

しかし、なんと言いますか、やっぱり「王女」じゃないんですよね。
「王様」という訳をあてるのは、いいのです。「世宗王」など、韓国でも「王」と呼んでいるのですから。でも、「コンジュ(公主)」に「王女」の訳をあてるのは、ちょっと違うとの感覚が抜きがたくあります。
「王女」がいるということは、「王子」もいるということです。
では、李王朝の王の息子に「王子」と翻訳を当てるのはふさわしいか? という議論が出てきます。

「王子」という漢字の持つニュアンス。これは日本の皇太子を「王子」と呼んだときに近い、決定的な違和感です。英語ではプリンスでしょうが、だからと言って機械的に「王子」とはならないのと同じです。そこはあくまでも「皇太子」です。

「コンジュ(公主)」という単語に、汎用性のある「姫」という翻訳ではなく、解釈に幅を持たせない「王女」という訳をあててしまうと、こうしたことを問わざるを得ません。もしかしたら「姫」よりもより権威を持たせるために「王女」と当てたのかもしれませんが、仮にそうだったとしても、「王女」という単語の放つ響きがコンジュの翻訳として最良なのかという問題設定は残ります。

ちなみに朝鮮半島の「姫/(公主)」は中国から来ています。
英語を漢字に訳す場合はいいとしても、もともと漢字のある国が「公主」と日本語にない単語を使っているわけですから、翻訳を当てる際に当然注意が必要になります。私なら、グレーな部分のある「公主」の翻訳に、漢字の「王女」は当てません。漢字圏の李王朝が、姫のことを「ワンニョ/王女」と呼んでいない以上、「王女」の訳をあてるのは、避けます。
一番抵抗を感じるのは、こうした疑義が呈されがちな翻訳が、ひとたび使われると以後も当然のように踏襲されていくということです。
「コンジュ(公主)」に「王女」を当てたからには、今後仮に「セジャ(世子)の女」という作品が出たら「王子の女」と踏襲され、訳されていくでしょう。私が日本語字幕でドラマを観ないために知らないだけで、もしや既にそのような訳が「常識」として当てられているのかもしれません。

PR広告


うーん。語感のリズムも『姫の男』のほうが断然いいのに、なぜそちらにしなかたのか、『王女の男』とタイトルを決めた理由を関係者様に伺ってみたいです。もしや『王の男』に引っ掛けたのかもしれませんが。

これまでずっと『姫の男』で書いてきたので、今後どうすべきかちょっと考えています。正式タイトルを尊重するのは当然の礼儀と心得ておりますので、そのうち併記するつもりでいます。