みなさま、こんにちは。

梅雨も本番。蒸し蒸しする日が続いています。
みなさまも体調など崩されぬようお気をつけください。

さて、今日も慶州(キョンジュ)の話題。
映画『慶州』に触発されて訪れた慶州の旅をつれづれに綴ってみようと思います。


みなさまは慶州には行かれたことはありますか?

実は慶州、日本から行くには少しハードルが高い観光地ではないでしょうか。
勿論、旅行会社が組むパッケージ旅行では、慶州は韓国の観光地としては最も有名ではあるのですが、韓流ファンのみなさまならまずは圧倒的にソウル近郊、次に釜山。そしてリゾート地、チェジュ。
中には兵役につくスターのお見送りに地方へ、なんていう更なる猛者もいらっしゃるかとは思いますが、あまり「韓流イメージ」と直結していない慶州は、実は個人旅行だと後回しになりがちな場所なのかな、なんて思っています。

海外旅行になかなか行けない方もいらっしゃると思うので、そんなみなさまにも今日は「バーチャル旅気分」を少しお届けできれば思います。


というわけで、慶州。

慶州はどのへんに位置しているかと言いますと、地図ではこうなっています。



kyungju_map1



左上がソウルで、赤く囲んであるところが慶州一帯。
隣りの大きな行政区は大丘(テグ)。
慶州の下はウルサンと釜山という立地。

日本からの観光客の場合、ソウルからにせよ釜山からにせよ行きかたはKTX(特急電車)か高速バスになると思いますが、やはり使いやすいのはKTXでしょう。
KTXの「新慶州」駅は2010年11月に開通。ソウルから「新慶州」駅までの所要時間は2時間です。
ちなみに高速バスだとソウルから慶州高速バスターミナルまで大体4時間はかかります。

ただ。

外国からの観光客が「個人観光では行きづらい」というイメージを持ってしまうのが、この「新慶州」駅。

実は慶州の観光中心地から離れた場所にあるのです。
慶州の観光地は、高速バスターミナルを基点に点在しています。

地図で示すと、こんな具合です。

左下にあるのがKTXの「新慶州」駅。

真ん中の赤いアンダーラインの駅がローカル線の「慶州」駅。
その左、ピンクで丸く囲んだあたりに高速バスターミナルや大陵苑(テルンウォン)などの観光地があります。




kyungju_map2





地図はクリックで拡大できます。

ちなみに青いアンダーラインが引いてあるのは、私が今回訪れた場所。

右下側の離れた場所にあるのが1995年に世界遺産となった仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)。
統一国家新羅の礎を築いた新羅第29第王、武烈(ムヨル)王陵や瞻星台(チョムソンデ)、国立慶州博物館、善徳(ソンドク)女王陵などはレンタル自転車で十分回れる範囲内にあります。

紫で丸く囲んだ地域は「ポムン湖」の周辺に整えられている「ポムン観光団地」で、このあたりには「ヒルトンホテル」をはじめ「テミョンリゾート」、「ヒョンデホテル」、「慶州ワールドリゾート」や「ハンファコンド」などのホテルがあります。
ひたすらきれいな観光地を好まれるなら、無難にポムン観光団地周辺のホテルに泊まるのがお勧めでしょうか。
もっとも、慶州のハンファコンドに関しては4、5月は修学旅行客に遭遇する可能性が高いようですが。もしかしたら他のホテルも?!(笑)

リーズナブルに済ませるのであれば、慶州駅から10分以内くらいの距離のところに古墳群を前にしたゲストハウスが二つほどあります。もしかしたらもう少しあるのかもしれません。そのうちの一軒に日本から宿泊したお友だちが言うには、外国人観光客の対応にもとても慣れていたそうです。
ちなみに高速バス乗り場の周辺には新しいものも含めてたくさんのモーテルが立ち並んでいて、韓国人国内旅行者はたいていモーテルを利用します。
韓国の観光地はどこもそうですが、とにかく、若干引くくらいバスターミナル付近にモーテルがあります。(笑)
少し離れた場所には、韓国家屋の宿などもあるので、そういうところに泊まるのも風情があっていいですよね。

というわけで、まずは「新慶州」駅。

ここは、前の記事で書いた映画『慶州』にも出てくる場所です。
いわば慶州旅行の玄関口。




1605new kyungju station





とにかく大きいです。
そして実は、駅舎の中に小さな博物館があります。

新慶州駅を作るために掘り返していたところ、遺跡が出たそうで。

このあたりはとにかく、どこを掘っても古代の遺跡が出てきてしまうそうなんです。さすが、古代王朝、新羅ゆかりの地。


外にもいきなり、駅の装いに不似合いなこんな古墳が。



1605new kyungju station2





1605new kyungju station3





バス乗り場の目の前なんですけどね、これ。(笑)

「慶州芳内里(パンナリ)古墳群1号」の石房墓(石室墓)。統一国家になった後の新羅のものだそうです。

この古墳の前のバス停から慶州各地に向かうバスが出ていて、高速バスor市外バスターミナルまでは20分、慶州駅までも25分くらいと、思った以上に近いんです。ポムン観光団地の各ホテル行きのバスも出ています。

バスターミナル近くは、映画『慶州』にも出てくるようにレンタルバイク屋さんがたくさんあり。

本当に自転車に乗った旅行者をあちこちで見かけました。
料金も映画と同じで、一日7000ウォン。身分証を預けて借りる仕組みです。


自転車にまたがって少し走るだけで広がる、古墳群。




1605古墳_1




これは大陵苑(テルンウォン)一円。


まさに映画に出てきたこのあたりでしょうか。




kyungju_movie_image2_1




私が慶州に着いたのは、日暮れ時。
というわけで、シティバスツアーを利用して、慶州のナイトツアーに参加してみました。
市内バスターミナルと慶州駅のすぐそばにシティツアーを行う旅行会社があるのですが、外国人が参加した場合、申し込み時に希望すると、希望する言語での解説映像を見ることができます。ただし、口頭での説明は韓国語だけなので、移動中に流れる映像に集中し、内容を頭に入れないといけませんが。(笑)

まずは外せない、「東宮(トングン)と月池(ウォルチ)」。
新羅の都城「月城(ウォルソン)」の東北に位置しているため、そのような呼び名がつけられたこの池。韓国ではそれ以前の呼び名「雁鴨池(アナプチ)」のほうが知られているかもしれません。「雁鴨池(アナプチ)」は朝鮮時代の呼び名で、すっかり荒れ果ててここになにがあるか分からなかった頃、「雁と鴨しかいない」という意味でつけられたそう。

「月池(ウォルチ)」は新羅の文武(ムンム)王14年(A.D. 674)に築造された新羅の宮苑池なのですが、 発掘作業が行われたのは1972年のこと。大きな池の水を抜いてみたところ遺跡が現れたそうです。

古墳から出土した遺跡は、亡くなった貴族たちの魂を慰めるためのものなので、ぜいたく品なども当然多いのですが、この月池(ウォルチ)から出土されたのは、ここで暮らしていた人々の暮らしを生き生きと知らせるさまざまな品。
当時の宮廷での遊びや暮らしを知ることのできる貴重な遺跡は3万点にも及び、それらは現在国立慶州博物館に収められています。

文武王は武烈王の息子で、譲位の後新羅の統一を完成させた人なのですが、この月池は実はどこから見ても池の全貌が把握できないように設計されています。全貌が把握できないことによって池がとても大きく感じられるのですが、もう一つここには大きな特徴があり、東北側はくねくねと曲線を描いていながら、真向かいの側はシャープな直線という二つの面を持ち合わせたデザインになっています。

優雅でやわらかい曲線は百済文化の特徴を象徴し、一方の直線は高句麗の強靭さを表しているのだそう。宮殿の池で三国統一を表したのですね。恐らく、滅ぼされ、吸収された側の民への慰めもこめて。

入り口からちょうど左右に分かれるようになっていて、左側の池のラインが曲線、右側が直線を描いているのですが、下記の写真は左側に進んだところのものです。



1605wolji_1






日暮れ時だったのもあり、とにかく美しかったです。



1605wolji_2





1605wolji_3





1605wolji_4





1605wolji_5




左からぐるっと回り込みながら、両方が見渡せるところで撮ったものが一番下の写真です。右側の建物があるほうが曲線のライン、左側の木が茂っているほうが直線ラインになっているのですが、池に映りこんでいるので分かりづらいですよね。


この「東宮と月池」の建物の中には、ここで出土された遺跡の解説があるのですが、色々目を引くもののうち最も面白かったのが、酒命具(チュリョング)と呼ばれるサイコロ。

この場所でお酒を飲みながら貴族たちが遊んだ道具なのですが、四角の面が6つ、六角面が8つで構成されたこの14面体のこのサイコロ、用途は実は罰ゲーム。
「曲臂即盡(腕を組んでラブショット)」とか、「兩盞即放(酒2杯一気飲み)」、「自唱自飲(飲んで歌う)」などなどが漢字4文字(一つだけ5文字)で書かれてあるんです。
まったく。昔々の人たちも、お酒を飲んでやる遊びはそんなに変わらないんですね。(笑)


ちなみに「月池」の14面サイコロは、入り口のほうにこんなふうにオブジェとして飾ってあります。

写真は昼間のもの。



1605月池_0




ええ、昼間も訪れたんです、ここに。

サイコロが気に入ってしまって、レプリカをお土産でも買ってきました。

勿論小さいものを。(笑)



ナイトツアーでは、ここから程近い「瞻星台(チョムソンデ)」にも行きました。

瞻星台(チョムソンデ)は東洋に現存する最も古い天文台として知られている石塔で、新羅第27代王にして初の女王・ 善徳女王の時代(632~647年)に建てられたものです。国宝にも指定されている、直線と曲線が調和した石造建築物なんですよね。




1605chumseongdae_1




形が可愛くないですか? 

この真ん中に空いた穴から上に上がるようになっているのだそうです。
瞻星台の形は円筒形で大きさ30センチの石362個を27段重ねて作られており、12段までは土で埋まっています。

瞻星台を作る時に362個の石を使ったのは、1年を陰暦で計算してでる日数を象徴しているのだとか。

もう、なんだか、感心。(笑)


裏から見ると、こんな感じです。




1605chumseongdae_2





1605chumseongdae_3






お気づきいただけてるかとは思いますが、月を入れ込んでます。(笑)


瞻星台(チョムソンデ)見学は、なんと無料です。

ちなみに月池は入場料があります。


昼間訪れる瞻星台(チョムソンデ)は、こんな表情をしています。




1605chumseongdae_4





昼と夜では趣が変わりますよね。

ちなみに写真に写りこんでいる人々がみんな下を向いているのは、みなさん自分が撮った写真を確認するのに夢中だからです。
ああ、SNS時代って。(笑)

瞻星台(チョムソンデ)、昔は「占星台(チョムソンデ)」とも呼ばれていたそうです。空を見て、占っていたのでしょうね。


広い園内をさらに進むと、今度は「自然の冷蔵庫」とも呼ぶべき「石氷庫(ソッピンゴ)」が。

文献によれば、新羅チジュン王6年(505年)の頃には氷を貯蔵していたとあるそうです。
その石氷庫は半分は地下を掘った形になっており、中は冷たい冷気が漂っているとのこと。

夏に冷菓を作るのに使うため、王自ら氷を保存するよう命じたと書物に記載されているそうで、こうした記録から石氷庫は今から約1500年前に作られたと考えられるそうですが、現在慶州に残っているのは新羅時代のものではなく、朝鮮英祖14年(AD1733年)に作られたものなのだそう。


これが、現存する中で最もいい状態で保存されている石氷庫。



1605石氷庫_2





1605石氷庫_3




本当に、中から冷たい空気が出てくるんです。
この日は気温30℃を超えていましたが入口の近くに立っただけでも冷気を感じました。
まさにずっと張り付いていたいくらいに。(笑)

地盤自体が冷えている、石氷庫にふさわしい土地を選んでつくったそうで、構造としては花崗岩で底と壁を覆い、天井はアーチ型。通風のための穴も空けられているそう。また、氷を保存する際には更に断熱材として藁が使われていたとのことです。

覗き込むと、なかなか中は不気味。
でも写真撮ってきてしまいました。




1605石氷庫_4





・・・・・・変なもの、映りこんでませんよね?(笑)



さて、慶州ですので「陵」の説明をしないわけにはいきませんよね。

先ほどからたびたび言及している「大陵苑(テルンウォン)」にも勿論行って来ました。




1605大陵苑_1



「陵」とはすなわち王の墓のこと。


大陵苑は新羅王朝の王や貴族の大規模な古墳群で、미추왕(ミチュワン/味鄒王)陵をはじめ、7つのエリアに分かれています。広さ12万坪の敷地に23基の古墳が集まっているのですが、地下の古墳まで合わせるとその数は200基に上るそうです。大陵苑の中で最も有名なのは天馬塚(チョンマチョン)と皇南大塚(ファンナムテチョン)です。

ちなみに塚(チョン)とは、中を調べたけど誰のものかわからなかった墓を指す用語だそうです。殆どは手付かずで、恐らく発掘しても誰のものかを正確に当てるのは難しいだろうとのことでした。

天馬塚(チョンマチョン) という名がつけられた遺跡からは、1970年代に発掘された際、天に登る馬の姿が描かれた絵が見つかったのですが、その絵は1500年前の古代新羅時代を示す唯一の絵画として大変貴重なものとなりました。唯一内部が公開されている古墳である天馬塚(チョンマチョン) の中には、名前の由来となった絵のレプリカがあります。
他にもこの内部には11,526点の文化財と王冠が復元されていて、古代の王の華やかな生活の様子を窺い知ることが出来ます。
古墳のつくりがどうなっているのかも垣間見れて、なかなか面白かったです。


こちらが天馬塚(チョンマチョン) 。

中は撮影禁止なので、外観だけですが。




1605大陵苑_天馬塚_1





ちなみに、1970年代の発掘作業の際、「本命」の古墳はこれではなく、そのすぐ傍にある大きな「双子」の陵でした。




1605大陵苑_皇南大塚_1





1605大陵苑_皇南大塚_2




大陵苑で一番大きな古墳である皇南大塚(ファンナムテチョン)。
これを発掘する前に、隣にあるもっと小さな古墳を発掘してみたら、中から馬の絵が出てきたので、もっとすごいものが入っているだろうと期待して?発掘したのだそう。

古墳の名が「塚」となっているところからお分かりいただけるように、この古墳も誰のものかは分からず、歴史的資料としては天馬塚(チョンマチョン) ほどの価値ある出土品は出てこなかったそうですが、残されていた遺骨から「夫婦陵」であろうと推測されるそう。
皇南大塚からは天馬塚より多い三万点の遺物が発見されており、遺物から新羅時代の女性の地位がどれほど高かったのかを窺い知れるそうです。

ここで興味深いのは、60代前後と思しき男性の遺骨が収められていた古墳の中に、更に20代くらいの若い女性の遺骨があった点。
殉葬と思われるこの若い女性の遺骨から、この塚が新羅の仏教伝来前のものと推定できるのだそうです。実際、仏教伝来以降の古墳には、無益な殺生はいけないということなのか、殉葬の形跡が見当たらないとのこと。
とても興味深いですよね。

ちなみにこの皇南大塚は本当に大きくて、高さは22.2メートル。
ビルに換算すると大体5、6階建てなのですが、このあたりは建築規制によりこの皇南大塚よりも高い建物は建てられなくなっているそうです。

平地に古墳が築かれている点もこの時代の特徴なのですが、仏教伝来以降、墓の大きさはより小さくなり、また、作られた場所も平地ではなく山のほうに移っていっているという興味深い事実も知ることができました。


まさに分かりやすい例が、善徳女王陵。


善徳女王は瞻星台を築いた新羅初の女性の王で武烈王の母ですが、仏教を振興したことでも知られています。

新羅は高句麗、百済のあと、三国の中では最も遅く仏教を受け入れ、初期の伝来は高句麗からだったとされています。なかなか定着せず、民間信仰の域を出られない迫害の対象だった仏教を国として受け入れた時期として推定されるのは、6世紀半ば頃。ちょうど善徳女王から百年ほど前のことになります。


歩いていくのは厳しい距離ですが、バスターミナル付近から自転車でなら回れる善徳女王陵。

平地の古墳群とは離れた場所にありました。




1605善徳女王陵_1





「仏教伝来以降、新羅の古墳はより小さく、より山のほうへ」の解説どおり、平地ではなく小高い場所にある善徳女王陵。

行く途中の道は「ほんとにここに女王の墓が?」と心配になるほど、素朴です。なんだか民家の隣りをお邪魔している気分でした。(笑)

こんなふうに林を抜けていきます。




1605善徳女王陵_2





1605善徳女王陵_3





それにしても、人がいない。

全然と言っていいほど、いない。

やはりこれは、メインの観光地から離れているせいでしょうか。
ここを目当てに来た方は、寂しくなること請け合いです。
なぜなら観光地に来た実感を高めてくれる本当の主役は、「観光地に来た人々の数」なので。(笑)


ちょっぴりゼーハーしかけたところで、見えてきました。



1605善徳女王陵_4






これが善徳女王陵です。




1605善徳女王陵_5





傍には碑石と案内板がありました。




1605善徳女王陵_6





1605善徳女王陵_7





ハングルで書いてあるところからもお分かりのとおり、当然墓を示す碑石は当時のものではありません。(笑)
案内板の画像はクリックで拡大できます。


来てみて本当に驚いたのですが、小さいんですよね。お墓が。

大陵苑で見た大き目の古墳に比べたら、小ぶりなんです。
こちらの高さは6.8メートル。

松の木の林に囲まれていて風情はあるのですが、入り口も寂しければ、王陵も本当にポツリとある感じで、全体的に本当に地味でした。
ここにたどり着くまでもあたりにはお店の一つも、屋台の一つも見当たらず。
あまりのひっそり感に、なんだか善徳女王に同情を覚えてしまうほど。
って大きなお世話ですよね。(笑)



そして、慶州といえば、花形は「仏国寺(プルグクサ)」と「石窟庵(ソックラム)」。


こちらは二つまとめて1995年に世界遺産に登録されています。
場所としては、バスターミナル付近からは車を使わないといけない距離にあります。


標高745メートルの吐含山(トハムサン)の中腹に位置する仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)は、きらびやかな新羅の仏教文化の全盛を伝える最高傑作品で、その建立時期については535年に新羅の法興(ポップン)王が母の意向に従って国の安定のために建立、その後、新羅の景徳(キョンドク)王(742~764年)の時に宰相の金大城(キム・デソン)が再建したという説と、景徳(キョンドク)王の時に金大城(キム・デソン)によって建造が始まったとされる説とがあります。
仏国寺は豊臣軍による文禄・慶長の役の際、建物や宝物がほとんど焼失、略奪されてしまい、1920年以前には一部の建物と塔だけが荒廃したまま残っていたそうですが、原型復旧作業を経て現在では国宝7点を持つ大きな寺院となっています。



入り口はこんな感じ。



1605仏国寺_1





1605仏国寺_12






寺院なので、中は入ってすぐ池が。





1605仏国寺_2





四天王も。





1605仏国寺_3





1605仏国寺_4




この仏国寺はですね。とにかく広いです。
ゆっくり全部見て回ろうと思ったら、本当に半日がかりです。

なので、全部見て回りたい方は、急ぎ足になるツアーはお勧めしません。(笑)



こちらは国宝23号となっている青雲橋と白雲橋。




1605仏国寺_13靑雲橋&白雲橋




泛影楼と左経楼がそびえている基壇の中央に勢いよく伸びているこの石段。上の方の16石段が白雲橋でその下の17石段が青雲橋です。
共に33段ある二つの橋は、仏教でいう三十三天を意味し、「この石段を登ってをくぐると、そこはお釈迦様の彼岸世界である」、つまり仏の国を表現する仏国寺の境内であると示しているそうです。
この門を過ぎれば、世俗の無知と束縛から脱し、仏の世界に到るということを象徴しているのだとか。
青雲橋の下には虹の形に見立てて建てられた曲線の美しい虹門があり、かつて基壇石段の下には池があったそうです。
現在も創建当時の1200年余り前の基壇石段がそのまま保存されているとのことなので、貴重ですね。


橋の下はこんな感じです。




1605仏国寺_16






そしてこちらは青雲橋・白雲橋と同じ様式で建てられた蓮華橋と七宝橋。

こちらも国宝に指定されています。





1605仏国寺_12蓮華橋七宝橋




実はパノラマ撮影で歪んでます。(笑)

蓮華の花びらが刻まれている下の石段が蓮華橋、その上の石段が七宝橋。
この石段を登って安養門をくぐると、阿彌陀仏の極楽世界を表現する極楽殿の区域に到ることが表現されています。石段が昔そのまま保存されており、その価値が高く評価されているそうです。


こちらは仏国寺の中心となる法堂、大雄殿。




1605仏国寺_6大雄殿




大雄殿は文縁の役の際に焼失した後、1695年に再建されましたが、基壇は新羅時代そのままだそうです。

この大雄殿の前に国宝の多宝塔と仏国寺3層石塔(通称釈迦塔)があります。

まさに仏国寺のハイライトと呼ぶにふさわしい場所です。




1605仏国寺_7多寶塔





1605仏国寺_8釈迦塔






石塔だけでなく、勿論仏像も数々ありました。


こちらは毘盧殿の金銅毘盧遮那仏坐像(国宝第26号)。




1605仏国寺_11金銅毘盧遮那仏座像





仏国寺から尾根に沿って直線距離で約3キロメートルほど行くと、如来坐像の本尊仏が東海を向いている石窟庵があります。仏国寺と石窟庵は1995年12月6日に海印寺の八万大蔵経や宗廟とともに世界文化遺産に指定され、国際的にも知られるようになりました。


こちらが石窟庵の入り口風景。



1605石窟庵_1





1605石窟庵_3






山を登り、本尊はこの中に納められています。




1605石窟庵_2







中は撮影禁止なので、参考資料をご用意しました。




石窟庵




本尊は、本当に美しかったです。

現在は保存のためにガラスで覆われているのですが、いつかよりよい保存技術が見つかってじかに見れるようになったらいいなと思いました。


ちなみに、出口付近には一人1000ウォン以上募金をした人だけがつくのを許可される鐘があったので、せっかくの機会なのでついてきました。(笑)





1605石窟庵_4





石窟庵、本尊まではなかなか息切れする道のりでしたが、途中リスに何度も遭遇するので、ほっこりと癒されるのもポイントでした。


さて、そんなわけで終盤に差し掛かった慶州旅行。

今回の旅の目的の一つは、映画『慶州』に出てくる伝統茶屋「アリソル/아리솔」を訪れることでした。



kyungju_movie_image3





kyungju_movie_image5





実はこの映画、当初は「アリソル」ではなく、監督が実際に慶州初訪問の際に寄って春画を見たという別の伝統茶屋で撮影が進められていたそうです。

その伝統茶屋の名は、“능포다원(陵浦茶園/ヌンポダウォン)”。

冒頭、慶州にはあまり韓流イメージがないと書きましたが、どうやらそうではなさそうですね。
この陵浦茶園、おそらくヨンさまファンのかたがたの間では知られた場所だったのではないでしょうか。
ペ・ヨンジュンさんがかつて2009年に著した『韓国の美をたどる旅』という本の中で、この茶園が紹介されていたそうで。
日本語版も出版されているようなので、ご存知の方もいらっしゃると思います。




book_1




ヨンさまが紹介しているなら、「韓流ファンなら一度は慶州」だったのかもしれません。失礼いたしました。(笑)


ちなみに映画の中で日本人観光客の女性が登場するシーンがあったのですが、これは監督が陵浦茶園で見た光景を描いたのだそうです。
そこまでの情報を知って、ようやく小さなひとコマに合点がいきました。
色々と奥深い情報を与えてくれる、映画『慶州』です。


陵浦茶園で撮影を進めていたものの、隣りの建物で改修工事が始まってしまい、到底撮影が続けられなくなって代替ロケ地として白羽の矢が立てられたのが、近くにあった伝統茶屋『アリソル』だったのだそう。


アリソルと陵浦茶園の位置関係はこんな感じ。
三角のところがアリソルで、すぐ近くの赤い星印が陵浦茶園。




kyungju_map





地図はクリックで拡大できます。

ちなみにアリソルから左斜めに下がったところにある青い星の場所“청춘게스트하우스/青春ゲストハウス”の管理人さんのお部屋から取ったのが、このシーンなんだとか。




kyungju_movie_image7_2





ほんと、慶州密着型映画です。

私がこのあたりの慶州市民なら、すみずみまで「わが町」が出てくるこの映画、本当に大好きになりそうです。(笑)


アリソルの外観はこんな感じ。




1605_arisol1





1605_arisol2





一見ここが入口かのようですが、「奥に回りこんでください」と案内が貼ってあります。

回り込んでみると、いきなりポスターがお出迎え。




1605_arisol3





ちょっと胸、躍ります。


さらに進むと、映画でみたまさにあの場所が。




1605_arisol4_1






庭の中は、こんな様子。




1605_arisol5





kyungju_movie_image6_7




映画と同じと言えば同じ。違うと言えば違う。

正直、パッと見にはここで映画が撮影されたとは思えない、ナチュラルすぎる雰囲気でした。(笑)

今回は映画『哭声(コクソン)』を急遽慶州で見たりしたためお茶をしていく時間が取れなかったのですが、次回はアリソルと陵浦茶園、是非訪ねてみたいです。


というわけで、今回の慶州旅行は幕を下ろしました。

映画を見て興味が沸き、実際に訪れてさらに興味が増す慶州の旅でした。
映画を見た後で訪れてみると、本当に的確に慶州というものを捉えていることに改めて驚かされます。
そして、古墳に留まらない魅力も再発見。
さまざまな仏教美術も堪能できますし、国立慶州博物館の展示数もかなりのボリュームでした。

今回、国立慶州博物館にも行ったのですが、この展示内容で入場料無料ってどういうことだろうと思ってしまいました。(笑)

韓国の国立博物館は、入場無料なんですよね。
一部、特別展などで入場料をとる場合もあるようですが、基本的には無料なんです。

展示物には英語、中国語、日本語での説明もあり、だからなのか外国人観光客のかたの姿もチラホラ見かけました。

じっくり滞在型でも、コンパクトな観光型でも、どちらでも楽しめる慶州。
比較的に狭いエリア内に観光すべき場所が集まっていて、見所の多い場所でした。

PR広告



生と死、古代と現代が隣り合わせにある、不思議な感覚を与えてくれる場所、慶州。

何度も足を運ぶうちに、もしかしたら『慶州』のチャン監督のように不思議体験もできちゃうのかも?!

不思議体験はちょっと遠慮したいですが、空間が生み出すあの不思議な雰囲気を味わいに、また訪れたいです。