みなさま、こんにちは。

あっという間に6月に入ってしまいました。
お天気のほうもなにやら荒れ模様で、大雨が降ったり強風が吹いたり。
またひとつ、次の季節に向かっている感じがします。

さて今日は5月25日に放送されたJTBCニュースルーム内でのソン・ガンホさんのインタビューについて取り上げてみようと思います。

本題に入る前に。

前回アップした「日本人にだけ読めない不思議な英語」を日本を訪れていたお仕事関係のソウルっ子女子に見せてみました。
日本語はまったく出来ない方です。

結果。

すらすら読みました。英語で。(笑)

目の当たりにして我ながらビックリです。
そうだろうとは思っていましたが、本当にあんなに秒殺で読んでしまうなんて。
20分眺めても読めなかった私。人間の脳の不思議さに、また笑いがこみ上げた瞬間でした。(笑)

というわけで、本題に。

今日は先日5月25日にソン・ソッキさんがアンカーを務めるJTBCニュースルームに、かのソン・ガンホさんがゲスト出演された時のインタビュー内容を全編にわたって取り上げてみようと思います。

ニュースルームが毎週木曜日に大衆芸能に従事するさまざまなゲストを招いてインタビューを繰り広げていたあの人気コーナーが、このたび7ヶ月ぶりに復活。

前大統領とその友人にまつわるおびただしいスキャンダルを世に大々的に知らせる発端となったJTBCは、10月27日に予定していたリンゴ・スターのインタビュー出演を取りやめ、以降これまで不正疑惑を先頭に立って徹底的に報道。キャンドルデモの巨大なうねりを支える大きな役割をマスメディアとして果たしてきました。

実に多くのことが怒涛のように押し寄せたこの7ヶ月。
光化門広場でロウソクを手に集まった人々が願った最もふさわしい人が大統領に無事選ばれ、ようやく非正常を正常化し、非常識を常識的に立て直していくスタート地点に立てたところで、JTBCも人気コーナーを再開。
その初めのゲストがソン・ガンホさんだなんて、まさにこれ以上ない人選でした。


こんなツーショットが見られるなんて、シアワセ

ソン・ガンホさんといえば、前政権の不正の温床、文化体育観光部が作成したいわゆる「ブラックリスト」の筆頭に入れられていた芸能人。
故ノ・ムヒョン大統領の弁護士時代をモデルにした『弁護人』への出演で政府に目を付けられ、陰に揚に圧力をかけられていたことが今では明らかになっています。この「ブラックリスト」に関しては映画『パンドラ』について書いた過去記事で触れていますので、よろしければそちらをご参照ください。(リンクはコチラ

生放送の番組に出演してインタビューを受けるのは初めてというソン・ガンホさん。
人々を驚愕させ怒りに震わせた「ブラックリスト」掲載当事者としての気持ちや演技の心構え、映画を通じて社会に寄せる思いなどを率直に語ってくれました。
時にソン・ソッキアンカーにダメ出ししながら。(笑)

私はこの人気コーナーを大抵見ていますが、ソン・ソッキアンカーを前に緊張する人はいても、ダメ出しする人は見たことない気がします。
違うものは違うとキッパリ。ソン・ソッキさん相手にやっぱりソン・ガンホさん、タダモノじゃない。(笑)

ということで、早速インタビュー動画をご覧頂きましょう。

動画はyou tubeのJTBC news公式アカウントより。



アンカー:とても久しぶりに大衆文化招待席のインタビューを行うことになりました。昨年10月を最後にこの間お伝えすることが出来ませんでした。ご存知のとおり、これまであまりに多くのことがありましたので。7ヶ月ぶりにこうして執り行うことになりましたが、今後は毎週というわけにはいきませんが、不定期にでも大衆文化界にいらっしゃる方々をお招きしようと思います。
再開するにあたりどのような方をお招きすべきか悩んだのですが。
非常に喜んで頂ける方が今日この場にいらしています。あえて長々説明をする必要はないと思われます。お名前の三文字だけで十分な俳優ソン・ガンホさんが私の隣りにいらしています。ようこそおいでくださいました。

ソン・ガンホ:こんにちは。

アンカー:お会いできて嬉しいです。

ソン・ガンホ:お会いできて嬉しいです。

アンカー:実は、大衆文化招待席を設けて以来、何度もお招きしたいと思ったのですが叶わず、今日こうしてお招きすることになりました。

ソン・ガンホ:お招きくださり、ありがとうございます。

アンカー:大衆文化招待席を7ヶ月ぶりに再開するにあたり、私がソン・ガンホさんに決まった後、JTBCの職員たちに誰をお招きするか分かるかと尋ねたところ、分からないということで、「20の扉」を行いました。20の扉を行ったところ、15番目に正解が出ました。
これまで、なんと言いましょうか。あまりにお出にならないので、恐らく他の人々としてもソン・ガンホさんが出てくれるものなのかと、疑問に思ったようです。

ソン・ガンホ:これまでもこうした場に顔を出してご挨拶を差し上げられればよかったのですが、あの当時はまた事情がありまして仕方なく出られなかったのですが、遅まきながらでもこうしてご挨拶できてとても嬉しいです。ありがとうございます。

アンカー:なにはともあれ、単独インタビューのためにこうしてテレビ局に来てくださるのは初めてでいらっしゃるとか?

ソン・ガンホ:初めてです。

アンカー:なぜ今まで応じられなかったのですか?

ソン・ガンホ:なにか特に理由があるというよりは、私がこうした場やバラエティ番組などで視聴者になにか楽しみを与えて面白いことをしなければならないわけですが、そうした能力がありそうもないので。それでためらっているうちに自然と出られなくなったという感じです。

アンカー:そうなんですか? でも実は私はソン・ガンホさんにお会いするのは初めてではないんです。

ソン・ガンホ:ですよね。27年ぶりにお目にかかっています。

アンカー:27年前にどんなふうに会ったか、もしや覚えていらっしゃいますか?

ソン・ガンホ:あの時はソンアンカーはテレビ局(MBC)のストライキ現場にいらっしゃって、私が出演した演劇をソンアンカーがご招待してくださって、公演をしました。

アンカー:会社に来て。釜山にいらしたんですよね。あの時は釜山の劇団に。

ソン・ガンホ:はい。あの時は労組の宣伝部長でいらしゃって。

アンカー:教育部長でした。

ソン・ガンホ:教育部長でしたか? すみません。

アンカー:こんな話までしておりますが。

ソン・ガンホ:それで覚えているのは、公演が終わり、夕飯時になって。ソンアンカーがお疲れ様ということで夕食を、美味しい夕食をご馳走してくださったのを覚えています。

アンカー:ソッコチゲ(魚介と肉の鍋)だったと思います。ともあれ、あの時一緒に釜山の劇団でご苦労された皆さんはお元気ですか?

ソン・ガンホ:はい。

アンカー:多くの方が思い出されますが、特には・・・・・・。これくらいにしておきましょう。その方のプライバシーがありますので、私はこれ以上話しませんが、とにかく記憶に残る方が大勢いらっしゃいました。
本当にこうして考えてみますと、月日の経つのは早いです。27年ぶりにこうして。どういうわけか一度もお会いできずに、こうして久しぶりにお目にかかることになりましたね。
演技の話を少し出来ればと思うのですが。昔の話よりも。
ソン・ガンホさんの演技に欠かせない部分がまさに「ユーモア」だとよく言われます。多少シリアスな役柄でも常にユーモアコードは欠かさないということなのですが。それは個人の、ソン・ガンホさんなりの何らかの哲学なのですか?

ソン・ガンホ:そういうことではありません。俳優が色んな人の感情を表現する中でユーモアを含めた多様な感情を映画や劇などで表現するわけですが。私たちの日常性というものには多様な感情が集まっていて、人物を複合的で立体的に、豊かに表現しているのだと思うんです。ですので、必ずしもユーモラスに演技をしようということよりも、非常に自然発生的に生み出されるのがユーモアではないのか。また、人間の感情の中でもユーモアというものは非常に大切な感情だと思うんです。

アンカー:そうですよね。

ソン・ガンホ:そのユーモアが、対極にあるほかの感情をもより浮かび上がらせてくれ、より立体的に作ってくれるような気もします。

アンカー:前に俳優のパク・チュンフンさんと話す中で似たような話をしたのですが。それと同じかは分かりませんが。パク・チュンフンさんが言うには、大衆の前に立つ人々の特徴としては、そうでない人もいるが、よくよくみると、隠れていようが表れていようが、必ず多少「可愛げのコード」というものがあると、そう話していたんですよね。その話に私としては合点がいったんです。それと似たようなことですか?

ソン・ガンホ:少し違うようですが、でも同じ内容だと思います。

アンカー:分かりました。たとえばソン・ガンホならではの演技哲学とはなにかという話をする際に、多くの作品が勿論ありますし、そのすべての作品がすべて優れた作品であることは間違いないですが、最近の映画としは『思悼(サド)』(邦題:「王の運命 -歴史を変えた八日間-」)などでもたくさん例が挙げられていますよね。つまり、王のキャラクターをどのようにしてあのようにつくれているのかということですが。あれはソン・ガンホさんの意見だったのですか、それとも監督の?

ソン・ガンホ:私だけの意見というよりも、一緒につくっていってるんです。監督だけではなく色んな人が意見を出し、研究し、それを表現するのですが。『思悼(サド)』で最も重きをおくべき部分は、英祖大王の感情のジレンマであろうと思ったんです。一方では王としての感情と、かたや父親としての感情とが衝突する地点を、どのような深みをもって表現できるかと。そして、言い回しや言語も私たちがこれまで見てきた歴史劇のある種の固定的な口調よりも、日常的なものに。ダイレクトに史料にもそう書かれているんですよね。王の姿を私たちがあまりに硬直的に受け止めてきたのではないかと。それで、少し自由に表現をすることにし、その感情のジレンマをもう少し面白く、なおかつ深く表現してみよう。そういった接近の仕方でアプローチしました。

アンカー:『ナンバー・スリー』の時から勿論感じていたのですが、ソン・ガンホさんが今まで出演してきた映画の目録を見てみると27~28個ほどになりますね。私が見た映画を一度数えてみたんです。すると20個近くなりました。これくらいならたくさん見たほうですよね。

ソン・ガンホ:本当にたくさんご覧くださいました。ありがとうございます。

アンカー:私は演技についてはよく分かりませんが、20個の作品を貫いているなにかが、演技を貫いているなにかがあるのではないかと振り返って考えてみるに、ご本人は勿論そんなことはないでしょうか、楽に演技しているという感じが。これは否定的な意味ではありません。

ソン・ガンホ:ええ、どんな意味か分かります。

アンカー:それで、後輩の役者たちにもポンポン軽い調子で演技しろと話していると聞きましたが、合っていますか? そういうことなのですか?

ソン・ガンホ:それは、ともするとかなり不誠実な話に聞こえると思うのですが、そういう意味で申し上げているのではなく、非常に、演技を上手に行おうとあまりに悩んでしまうと、本当に上手にやれる部分も逃してしまい、本人のある種の考えのうちに凝り固まってしまう場合があるので。後輩たちにはむしろ単純になれ、簡潔であれと。また、多くを考えるより、その人物にとてもシンプルに集中しろと、そういう意味で申し上げたと思います。

アンカー:この時間は私の話をするものではありませんが、それを見ながら私が感じたことが一つあるのですが。もしかしたらこれは共通点かもしれないと思っているのですが。私も放送業界に長らく従事しているので後輩たちに時々聞かれるんです。非常に緊迫した状況の中に飛び込まなければならない時、どんなことを考えて入っているのかと。私がなんと答えるかと言いますと、私はただ「もうどうにでもなれ」と思いながら飛び込むと話すんですよね。似てる感じしますよね?

ソン・ガンホ:私のは「どうにでもなれ」とは違います。「どうにでもなれ」ではないんですが。ちょっとあまりに深刻に・・・・・・。

アンカー:人の面目を潰して下さいますね。それはそうと。

ソン・ガンホ:あまり深刻に考えずに、真面目に、でもあまり重たく考えるなと、そういう意味でお話したんです。

アンカー:私だってなにも後輩に、軽々しく「どうにでもなれ」と言ってるはずはないですよね?

ソン・ガンホ:すみません。

アンカー:なんというか、ちょっと捨てて。気負いを捨ててと。分かりました。
少し重たい話に移ろうかと思います。
昨年の年末から色々と複雑な時局になりました。その中で最も話に上がったのは、特に(大統領)弾劾をめぐる政局でのブラックリストの問題でした。勿論そのブラックリストに含まれていらっしゃいます。「弁護士」という映画のせいだと思われますが。

ソン・ガンホ:『弁護人』

アンカー:『弁護人』。今日は色々と矯正してくださいますね。
特に何も思わなかったということはないかと思うのですが、どんなことをお考えになりましたか?

ソン・ガンホ:そうですね。個人的には非常に当惑しましたし、残念に思います。周りでももしや不利益をこうむったのではと心配してくださる方もたくさんいらっしゃるのですが。勿論『弁護人』を制作した制作会社や投資した投資家たちは混乱をきたし、ある程度の不利益をこうむられたのは事実のようです。
私はそうした噂が立ちはしましたが、ブラックリストというものはそもそも隠密に働くもので、表立ってなにか証拠や確実な証人がいるものではないので、公式に断定するわけにはいきませんが、問題は、一番怖いと思ったのは、そうした噂だけでもある程度ブラックリストの効力が発生するという点でした。たとえば、(アンカー:知らずのうちに)はい。たとえば私がある作品を選ぶ際に、脚本を読んで一番最初に思うのが「ああ、この作品はまた政府が嫌がりそうな内容だな・・・・・・」。

アンカー:言うところの自己検閲が始まるということですよね?

ソン・ガンホ:そうです。

アンカー:それが怖いと?

ソン・ガンホ:自己検閲をするようになると、心理的な萎縮を感じざるをえないので。私だけではなくあのリストに挙げられた多くの芸術家たちにとって、最も純粋に芸術的な判断のみを下すべき時にこうした懸念がもたげてくるということが最も不幸なことではなかったかと、そういう気がしますし、参考までに一、二ヶ月後に私が出演した『タクシー運転手』(邦題仮)という映画が封切られるのですが。

アンカー:5・18(光州事件)に関連した。

ソン・ガンホ:はい、80年光州を背景にしているのですが。それで、その話を聞いて、脚本も読まずに断った記憶があるのですが、結局は読むことになるんです。読んで、その感動とこの作品が持っている熱さを、多くの人たちにお伝えしたいし共有したいという熱い思いがそうした恐れを克服したケースなのですが、そのプロセスは生半可なものではなかったということは申し上げたいです。

アンカー:『弁護人』という映画を引き受ける時もそうでしたか? あの時は実際にはブラックリストの話は出ていない時でしたが。

ソン・ガンホ:似たような感じでした。

アンカー:そうですか?

ソン・ガンホ:これは少し違う話なのですが、あの時の『弁護人』は故ノ・ムヒョン大統領に対して、一体あの方の人生を私が自信を持って、また多くの方々のご迷惑にならずに表現できるだろうかという恐れ。そうした恐れがあったとすれば、この『タクシー運転手』はまた別の怖さがありました。

アンカー:『タクシー運転手』は実際ブラックリストがどうのと本格的に話がされていた時期でしたので。自分でも気づかぬうちに萎縮し、自己検閲をするような状況になっていたので、それが怖いというお話ですよね。ところで、『弁護人』を引き受ける際に奥様が一言仰ったことで決意されたと。「あなたは20、30代の若くてホットな俳優でもあるまいに、何を怖がることがあるのか」と言われて決心されたと伺ったのですが。ここで20,30代の俳優でもないのに何を怖がることがあるのかというのは、先ほど仰った、たとえばノ・ムヒョン前大統領の人生をそのまま具現しうる演技面での恐れだったのか、それともある種の政治的恐れだったのかという問いがありますよね。

ソン・ガンホ:妻としては少々副次的なところで考えたようでした。私はもう少し違う複合的な色んなことを考えていた最中でした。ですが、とはいえ妻のその一言が大きな勇気を与えたのは事実です。

アンカー:こうしてともあれ『タクシー運転手』までこられました。5・18に関連した作品は、実は非常に多いです。私たちが知っているものだけでも『華麗なる休暇』、最近では『26年』、『ペパーミントキャンディー』や『花びら』。『タクシー運転手』は何が違うのでしょう?

ソン・ガンホ:『タクシー運転手』という映画の劇中、私の台詞にこういうものがあります。「お父さんはお客さんをおいてきた」。この言葉は、タクシー運転手ですので職業倫理を話しているようでもありますが、実際にはそれよりも人間の道理について物語っているのではないか。私にはそんな気がしました。『タクシー運転手』は、果たして人はなにをもって生きるのかという視点で80年光州を見ているのではないかと。そうした点が他の作品と差別化できるところだと思います。

アンカー:ただ実際、最近では、特に2013年の『観相師』以来、『観相師』も楽しく見ましたが、『弁護人』、『思悼サド』、『密偵』、『タクシー運転手』と、遠い近いはありつつもすべて時代劇韓国で近現代を舞台にしたドラマのこと)です。特に理由があるんですか?

ソン・ガンホ:偶然の一致というには少々時代劇に続けて出ていますよね。やはり、魅力的な部分が少なからずあるんでしょうね。それと、現代劇が与えてくれる何かしら豊かな想像力とエネルギーといったものは、現代ものでは発見できない部分があるので、どうも最近随分惹かれてきたのですが、特に好んで時代劇ばかりを決めてということではないと思います。

アンカー:ですが、どういうことを仰ったかというと。私がなぜその質問を差し上げたのかと申しますと。「今年の映画賞」で『密偵』で男優主演賞を受賞された時に仰ったのは、「しばしば一編の映画が世界をどうやって変えられるというのかと言われる。でも私は一編の映画が世界を変えられると思う」と仰ったんですよね。だからといって必ずしも時代劇を思い浮かべる必要はないのですが、大抵の時代劇は現実を反映しているので。それでこの方はわざと時代劇を選んでいるのかなと、そう考えたもので。そんなことも考えたのですが、私の考えすぎですか?

ソン・ガンホ:考えすぎだと思います。

アンカー:分かりました。修正します。

ソン・ガンホ:いえいえ。受賞スピーチでそうした大そうなことを私が申し上げたのは、他の意味があるというよりも、少し前、私たちが光化門で小さな蝋燭が集まって大きな心を作り上げるのを見もしましたし、また参加もしましたが。一編の映画というものは、見ようによっては取るに足らないもののようにも思えますが、そうした映画が集まって、集まって、また一歩進んでいけば、いつかは私たちが口にする世の中についての希望、望んで夢見てきた生きる上でのなにかしら希望を語れるのではないかという意味で申し上げたんです。

アンカー:そうですか。具体的にはそれはどんなものだとお考えですか? だとすると、つまり、その言葉をそのまま受けて話すなら、映画が世界を変えられるなら、一気には変えられないとしても、どんな姿でなければならないとお考えですか?

ソン・ガンホ:そうですね、蝋燭の一つ一つは見ようによってはとても小さいじゃないですか。ですよね? でもそれが集まったときにはものすごく大きな力となり、シンボルとなり、立ち現れるのと同様に、映画もなにかの作品で感動を受けた観客が、たとえ数は少なかったとしても、その効果がたった数時間しか持続しなかったとしても、その瞬間においては世界は変わっているのだと私は考えています。

アンカー:それが蓄積されれば、また大きな力になれると。『タクシー運転手』もまさにそんな映画になりうると。私はまだ見てはおりませんが。封切までにはまだ時間があるので。

ソン・ガンホ:一、二ヶ月で封切られると聞いています。

アンカー:行って見ることにいたします。

ソン・ガンホ:はい、ありがとうございます。

アンカー:ここで終わりにします。また質問して、修正されそうなので。

ソン・ガンホ:すみません。

アンカー:いいえ。お会いできて嬉しかったです。ソン・ガンホさんでした。

こちらのインタビューは全編文字おこししたものがJTBCの公式サイトに掲載されています。
韓国語もご覧になりたい方は、コチラをご参照ください。

いやはや、それにしてもいいですよね~、非常に。

なんだか聞いているうちにメモでも取りたくなるような、ソン・ガンホさんの演技論。ひとつの役に向かう時の心の動き。
とても貴重な話を聞けた気がします。
特に、抑圧的で強権的な政府に睨まれそうな役柄が回ってきた時の葛藤について。
このくだりを聞きながら、本当に役者は、少なくともこの方は、芸術家なのだなと気づかされました。

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昨年上映された『密偵』しかり、封切を控えている80年5月の光州事件を描いた『タクシードライバー』しかり。今迎えているような、人々が自ら立ち上がって政権を倒す状況がくるなどということはまったく想像できない頃に出演を決められているので、「そのプロセスは生半可なものではなかった」の一言には色んなつらさが凝縮されているのでしょう。
ものすごく真摯にひとりの人として物事を考え、俳優として信じたものを表現しようとなさる方だと分かるインタビューでした。

夏ごろ公開予定の新作映画『タクシードライバー』(邦題仮)にはユ・ヘジンさんとリュ・ジュンヨル君も出演されているので、内容的にはどうにもつらいものがありそうですが是非観てみたいです。