みなさま、こんにちは。

今日は、先日1月3日と4日に放送された韓国の教育テレビEBS“知識チャンネルe”での女優ムン・グニョンさんのインタビューをご紹介します。


新年特別企画として1月にEBS“知識チャンネルe”が「他人」をテーマに用意した8部作のインタビュー。
番組のコンセプトは 「『自分』と異なるものに耐えられない、嫌悪(ヘイト)の時代。他人の意味について話し合い、『私』と『あなた』はどんなふうに『私たち』になれるのかを模索する機会を設ける」というもの。

1回ほんの5分ほどのこの番組の出演依頼を快く引き受けたというムン・グニョンさん。特別企画のトップバッターとして1月3日と4日に登場したのですが、涙ながらに率直な思いを語る姿が後日記事で報じられ、静かな反響を呼びました。




















「他人」を考えるうえでの入り口として、常に「他人」にならなければならない俳優に焦点を当てたのが素晴らしいのと、その俳優にムン・グニョンさんを選んだのがこれまた秀逸な選択だったと思います。

天賦の才能を誰しもに認められ、演技力ではケチがつくことがないムン・グニョンさん。
幼い頃からテレビドラマで活躍し、いつまでもあどけない印象を残している彼女は、慈善活動などでも静かに寄付を続けるなど、はためには善良そうで明るいオーラを一身にまとっていますが、幼くして芸能界に足を踏み入れた俳優ならではの深い悩みも抱えていたことが、「他人」をテーマにしたこのごく短いインタビューから窺い知ることができます。


1月3日のテーマは『他人になる時間』、1月4日のテーマは『よく知りもしないのに』。

ヘイトと聞くと、特殊な人たちだけが行うことのように一見思えますが、今の時代、匿名を盾にSNSやインターネットを通じて簡単に嘘や悪意を流すことが可能であるため、誰もが巻き込まれ、煽られ、無知をつかれて気づけば付和雷同していたりもするんですよね。
もしかしたらそうしたヘイトに走る萌芽は、ヘイトというにはちょっと大袈裟に思える芸能人へのバッシング行為の中にも、既に含まれているかもしれません。

そんなあれこれを考えさせてくれる、EBSの特別企画。

どうぞみなさまも、ご覧になられてみてください。動画は二つです。

you tubeのEBS公式チャンネルに公式動画がなかったので暫定的に貼っておきますが、リンク切れの際はご了承ください。

ちなみに、EBS公式ページからも動画をご覧いただけます。
1月3日放送分へのリンクはコチラ
1月4日放送分へのリンクはコチラ



<他人になる時間>



知識チャンネルE

私にとって他人とは、理解しなければならなくて、理解してもらわなければならない人たち。

Interview

だけど、実際にはあまりにも理解するのが難しく、また理解してもらうのも難しい存在?

他人になる時間
―俳優 ムン・グニョン


作品で出会ったキャラクターは私ではないので、私にとっては他人でもありながら、でものちは私によってそのキャラクターに息が吹き込まれるものでもあるので、実は私でもあって、他人ではなかったりもするんです。
それで、いつもやっているのは、そのキャラクターに最初にアプローチする時、「私はこの人を理解しなければならない」と思い、理解しようと努力し、理解するための時間をとても多く費やすんです。
一日中、自分がこの人だったらと考えながら、自分の全生活を送ってみます。どんなふうにご飯を食べるかな? どんなおかずを食べるかな? 手はどんなふうに動かすだろう? 前だけを見て歩くかな、それとも地面ばかり見て歩くかな? そう想像して、やってみているうちに、ある時「そうそう。このキャラクターはこんな感じ」という感覚が訪れることがあるんです。

Q.俳優が作品によって他人になるプロセスを聞かせてください。

一生懸命分かろうとし、この人を類推できるすべての状況を想像し、その人らしい服を着て、ヘアスタイルにして、その人が会うであろう人々に会って、その人が持つであろう感情を使う時もあるし。そうしているうちに、ちょっと、その人が私なのか、私がその人なのかよく分からなくなり、正直に言えば撮影している間は、自分をその人だと思っています。

Q.作品の中の他人を、ある瞬間完璧に理解できたわけですね?

幼なかった頃は分からないので、(その人物をすべて理解したという感覚が)漠然といいことだと思っていたのですが、少しずつ大人になって、演技についても考えてみたら、「こういう感情を抱く時が、一番危険なんだな」と思うようになったんです。
なぜなら、私が(その人物になったと)信じた瞬間、私の中にある、私自身を見せてしまうと思うんです。そのキャラクターではなく。
他人ではなく、自分が持っているものだけで埋めてしまうと思うんです。
最大限、そのキャラクターの立場に近づきたいんですよね。

Q.現実で他人に会う時も、似たような面持ちなのですか?

気持ちは同じですが、キャラクターなので、私が最終的には理解しなければならないという思いがありますし、反対に、キャラクターなので、私がこの人を完全には理解できなくても、あるいは完全には(人から)理解されなかったとしても、人間関係ほどには大きく傷つくことはないと思います。
私にとっては、こういうのが大きいんですよね。
私が理解できると思っていた人、または理解しているつもりだった人が、理解できない行動を取った時。あるいは、私のことを十分理解してくれていると思っていた人が、私のことが分かっていなかった時。そういう時にもっと傷つくんです。
よく考えてみたら、それはその人が失敗したわけでも、私が失敗したわけでもなく、私が完全に理解し合うことができると信じていたために生じた軋轢だったのではないかと思うんです。

Q.では、他人を完全に理解するというのは、不可能なのでしょうか?

絶対に全てを理解出来たりはしないと思います。私も誰かからすべてを理解してもらうことはないと思いますし。
なので私は、だからこそ人は絶え間なく努力しなければならないと思うんです。
「誰かを理解する」という表現を用いて、「理解してもらえる」と表現しながら行動するのであれば、絶対にたやすく単純に考えてはならないと思うんです。
でも、こうも思うんです。生活していくだけで大変なので、いちいち全ての人のことをしみじみ振り返って理解するというのは、すごく難しいことじゃないですか。
作品を通じてこうしたことをもっと見せてあげたいし、知らせていきたいんです。
誰にでも簡単に理解できるようなものではなく、簡単には理解できない部分を、理解してもらえるようにしていきたいんです。
私の演技で。私の努力によって。






<よく知りもしないのに>



知識チャンネルE

『秋の童話』の頃は、本当に分からないというのもありましたし、今思えばとても不思議だとも思うのですが、台本を読んだ傍からすごく泣いてたんです。
この子がどうしてここで悲しんでいるのかなども分からないのに、ただセリフを読み進めているだけなのに、号泣しながらやっているんです。

よく知りもしないのに
―俳優 ムン・グニョン


初めは、「私はこれは上手」、「私、これは上手にやれそう」という気持ちがあったと思うんです。
でも、(演技を)やればやるほど、「私が本当に上手にできることって、何があるんだろう」という気持ちが大きくなったんです。
「どんなことなら上手にやれるだろう」、「才能があるって言われたのは、実は嘘だったんじゃないか」と。

Q.幼い頃から数多くの他人によって評価されてきましたよね。

実はそれが一番怖いんです。
他人に会う時、私にとっては初めて会う人なのに、相手は私について知っているんだと思い、実際に知っていて。あまりにたやすくこういうことを口にするんです。「あれ、思ってたのと違うね?」、「私が思ってきたのとは違うね」。
私について知らないのに、あまりにたやすく評価し、非難したり、褒めたりもする一連のプロセスをずっと感じながら生きてきたので、それはとても恐ろしくて良くないことだと思っているのですが、つらい思いをしないために自分自身が防護壁を築いているのかもしれませんが、その防護壁の一つが「人ってみんなそんなもん」と考えることなんです。

Q.人々はなぜそうなのでしょう?

初めは「どうして(人々は)理解できないんだろう?」、「みんなどうしてあんなにたやすく考えて決めつけたがるんだろう?」と思っていたのですが、生きるのが大変すぎてそうなのかもと思うようになりました、後からは。
生きていくこと自体がすごく大変で熾烈なので、自分が誰かの気持ちを慮って、理解しようと努力し、そこに時間を割こうとする人などいるわけないじゃないですか。

Q.では、グニョンさんは違うのですか?

「他の人たちは、みんなそんなもん」という考えは、(実は)私自身からすごく感じることだったんです。
私は自分のことを「いつも理解しようと努力している人間」だと考えていたのですが、時間が過ぎた後、あの時何がつらかったのか、何に傷ついたのかと思い巡らせてみると、実は私自身がとても理解されたがっていたんです、人々から。
だから、理解してもらえるキャラクター、理解されるべきキャラクターをいつも演じてきたのですが、本当は、そんなに理解されようと頑張る必要もないし、そんなのは実際には不可能なのだし、そのせいで傷ついてつらい思いをしてきた自分自身が馬鹿みたいだったんだなと思うに至った時点にいたことが、「ソユン」を選んだうちの一つの理由にもなったと思うんです。

SBSドラマ<アチアラの秘密>
ハン・ソユン役
アチアラという村で繰り広げられた殺人事件の真実に迫る観察者


Q.ソユンという人物は、それ以前に演じてきた配役とどう違ったのですか?

ソユンの良いところは、頑張って理解されようと努力しなくてもいい人物で、そしてむしろ、他の人たちが理解できるように助ける人物だったんです。私も誰かにとっては第三者であり、他人であり、脇役であり、なんでもない存在なんだな、存在でもありうるんだな、そうよ、それが当たり前のことだったんだよ、ということを分からせてくれる時間だったと思います。

Q.では、他人ではない自分自身とは、どんな関係ですか?

今のところは、遠く離れていると思います。
でも、以前に比べれば、互いが互いに対して関心を持っています。仲良くなろうと努力中です。そんなところです。

Q.今まで誰かを憎んだことはありますか?
「うーん。私自身ですね」
―21歳のムン・グニョン<シネ21>インタビューの中で


Q.10年前のインタビューで、誰かを憎んだことがあるかという質問に、自分自身だと答えられたことがあったんです。色んな問題の責任を(他人の代わりに)自分のせいにして・・・・・・。

ええ。あ、どうしよう。

Q.今はどうですか?

憎んではいないと思います。でも、憎んできた時間の分だけあまりに(自分自身と)遠く離れていたので、いまだに遠く離れてはいるのですが、今は少しずつ互いの姿を見ているように思います。
演技をし、俳優として過ごす中で、勿論キャラクターという他人もいましたが、実は私の人生にはあまりに多くの他人がいたんですよね。大きな影響を与えてくる他人が。
(問題の原因となっている)他人を憎めればとても楽だったでしょうに、それができなくて、自分を憎んできたんだと思います。
そうだったのですが、今はそうした面が随分変わって、楽になって、良くなったので、またこういう気持ちも起きてきたんです。誰か他人の影響からではなく、自分として考え、自分として感じ、自分自身として生きたいって。










「自分自身を離れたところから見ている」。
「今は互いが互いを見ている」。

まるでこれ自体が映画やドラマのセリフのようですよね。
これぞ俳優ならではなのか、それとも個別具体的なムン・グニョンの感覚なのかは分かりませんが、「知らない人に既に知られている」というムン・グニョンさんが吐露した戸惑いは、多くの俳優さんたちに当てはまるのでしょうね。

自分の事を知りもしない人たちから、判断されることの苦痛。
それは有名人の宿命でもありますが、彼女のように大衆の前に立つ人々を、真偽の定かではない噂話も含めて気安く論評すること自体特に問題に感じてこなかった一般人には、彼女が代弁する芸能人の心の声は胸痛むものとして響いたのではないでしょうか。

教養番組への出演経験もなく、出演料もわずかだったのに、日頃からEBSの“知識チャンネルe”を好んでみているからとのことで即座に出演を引き受けてくれたと明かした番組のキム・ドンジュンPD。
そのおかげで、映画やドラマを愛する視聴者も、ほんの少しまたスターに対する想像力を持つことができました。

11歳でデビューし、これまで数多くの作品に出演してきたムン・グニョンさんですが、幼い頃から色んな大人に囲まれ、知らなくていいことを知り、見なくていいものを見てしまってもきたのかなと、あの涙を見ながら思ったり。

韓国ではこのインタビューが記事となって紹介されて以降、「全部自分のせいにするのは、私と同じだ」と共感する若い女性たちの声が非常に多く見受けられました。立場や状況は異なっても、そうした心の動きは多くの人に当てはまるものなのでしょうね。

番組の中で触れられている10年前のインタビューとは、映画雑誌『cine21』との長いインタビューの中で出てきたものでした。

こちらも抜粋してご紹介しましょう。



ー今まで誰かを憎んだことはありますか?

うーん。私自身ですね。自分が傷つきたくないという自己防衛心理の延長として、悪い結果についても自分に責任があると思うところがあるんです。意識が常に自分に向いていると言いますか、説明が難しいのですが。とても利己的でありながら、利他的なんです。
人々は「気配りが行き届いている」と言いますが、実は私がこの人を傷つければ、その傷が自分に戻ってくるのではないか、あるいは傷つけた事自体が傷になりそうで、利他的に行動しているんです。最終的には、誰かを死ぬほど憎まなければならない状況になっても、一日二日をそうして過ごした後は、その人の行動に納得し、自分のせいにするんです。(出典『cine21』2008年6月27日号。韓国語原文へのリンクはコチラ


-살아오면서 누구를 증오해본 적 있어요?

음, 제 자신이요. 내가 상처받기 싫다는 방어 심리의 연장으로 나쁜 결과에 대해서도 스스로에게 책임을 물을 때가 있어요. 의식이 늘 내 자신을 향해 있달까, 설명하기 힘든데요. 무척 이기적이면서도 이타적인 거예요. 남들은 배려심이 많다지만 실은 내가 이 사람한테 상처를 주면 그 상처가 내게 되돌아올까봐 혹은 남을 상처준 사실 자체가 상처가 될까봐 이타적인 행동을 하는 거예요. 결국 누굴 죽도록 미워할 상황이라도 하루 이틀 그러다 그 사람 행동을 납득하고 내 자신에게 책임을 돌려요.(씨네21 2008년 6월 27일)




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10年前、二十歳のムン・グニョンさんが実はそんなふうにつらさを抱えていたのかと思うと、見知らぬ他人ながら慰めてあげたくなりますね。

それでも今は、自分自身と少しずつ仲良くなれていっているというので、ムン・グニョンさんを応援する視聴者としては少しホッとするところです。

急性コンパートメント症候群を患い、休業しながら4度の手術を受けていたムン・グニョンさん。
今は完治の診断を受け、今後活動を再開されるようですが、どうか健康に、そして伸び伸びと、生きたい人生を歩みつつご活躍頂きたいと思います。