みなさま、こんにちは。

東京のほうは桜がもう咲いているそうですね。
3月ももうすぐ終わりだなんて、ついこの間お正月だった気がするのに驚いてしまいます。
まだまだ寒い地域もある一方、沖縄はもう海開きしたところもあるんですよね。
暖かい春が早くみなさまのところに訪れますように。

さて、今日は明日から順次全国ロードショーとなる、韓国映画『チスル』をご紹介します。

『チスル』(原題:지슬-끝나지 않은 세월2 “チスル-終わらない歳月2″の意)は2013年3月に韓国で公開されたインディペンデント映画。
独立系映画、インディーズ映画など、呼び方はどれでもいいのですが。

韓国でインディペンデント映画といえば、観客動員2万人で興業的には成功といわれ、10万人を超えるとなると一大事。
商業映画1000万人動員に匹敵するとも言われ、これまでに10万人を突破したのは2009年のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』(観客動員292万人)と2009年の劇映画『息も出来ない(原題:똥파리 “糞蠅”の意)』(観客動員12万3千余名)、2010年のドキュメンタリー映画『泣かないでトーンズ(原題:울지마 톤즈)』(観客動員44万余名。日本未公開)と3作品しかありません。

そんな中、昨年2013年の3月から公開された『チスル』は、昨年末までに観客動員14万人を記録。ヤン・イクチュンさんが監督・主演し、一大センセーションを巻き起こした『息も出来ない』以来の快挙といわれています。

こちらが明日から日本公開される『チスル』の日本版ポスター。


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そしてこちらは韓国版ポスター。


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「アカ(共産主義者)の掃討」を名目に1948年4月3日から始まった米軍政とのちの韓国軍による済州島民の大虐殺、「4・3事件」を描いたこの映画は、前年2012年に釜山国際映画祭で4つの部門で受賞したのち、2013年1月にはサンダンス国際映画祭のワールド・シネマ劇映画部門にてグランプリを受賞しました。
インディペンデント映画を対象に1978年から毎年1月にアメリカで開かれている、世界各国の良質な独立映画が集まるこのサンダンス国際映画祭で韓国の作品が受賞するのは、2004年にドキュメンタリー映画『送還日記』が「表現の自由賞」を受賞した以来、劇映画としては初めて。

「韓国国内映画祭では無冠のこの映画が、国際的には認められた」という声が聞かれるほど、この映画には「4・3事件」をとりまく韓国内の心地悪い視線が絡み付いています。

朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間で国土を分断して以来「反共産主義」を掲げてきた韓国では、事件は長らく語ることすらタブーでした。真相解明や実態把握が進まず、韓国に住む人よりはるかに日本に渡った在日韓国朝鮮人のほうがあの時済州島でなにがあったのかを詳しく知っている状況が続いてきたのです。韓国現代史の中で葬り去られてきた「4・3事件」を追い続け、日本発で事件を知らしめてきた済州島出身の在日朝鮮人作家、金石範(キム・ソクポン)さん(代表作『火山島』)の功績によるところが大きいと言えるでしょう。

済州島で起きた「4・3事件」については、映画の公式ウェブサイトにものっているので、是非チェックされてみて下さい。
公式サイトはコチラです。

配給は映画プロデューサー、李鳳宇(リ・ボンウ)さんのSUMOMO、字幕は根本理恵さん。
あのウェブサイトの気合の入り方ってば、やはり、です。
このお二人の名前に心から信頼を寄せる韓国映画ファンは多いのではないでしょうか。

1945年8月15日。
日本の植民地統治から解放され、独立国家を手に入れるはずだった朝鮮半島の人々は、第2次世界大戦終結前から水面下で始まっていたアメリカとソ連の東西冷戦の犠牲となり、自主独立を手に出来るはずが38度線で南北に分断されました。独立政府樹立に向けて着々と動いていた朝鮮の人々の意を無視し、北側ではソ連軍、南側では米国軍が占領・統治を行うことになったのです。朝鮮半島がどちらの側の拠点になるか、どちらがどれほど多くの領地を取るかが、米ソ両国ともその後の世界戦略の上で極めて重要だったがために。

朝鮮半島を南北に分断したまま10年間ほど米ソが統治したのちに独立させるという案(国連信託統治案)も出され、人々は「分断が固定化する」と猛反発。信託統治案賛成派と反対派に分かれて激しく対立していくことにもなりました。

信託統治案が水に流れ、ソ連が朝鮮半島から撤退したあと、居座ったままの米国占領軍が朝鮮半島38度線以南のみで選挙を行い、新米路線の新国家を建国させようとするところから、朝鮮半島の悲劇は加速します。南側だけで行われる「単独選挙」に反対する声は、ソ連占領時代から共産主義者の影響力が色濃かった38度線以北は勿論、朝鮮半島全土にも広まっており、1948年4月3日には5月に予定されている「単独選挙」に反対した済州島民の一部が武力蜂起。これを機に米軍政は警察と西北(ソブク)青年会とよばれる極右暴力集団を動員し、潜伏している南朝鮮労働党員を掃討するという名目のもと島民の無差別虐殺を始めます。
1948年8月15日に大韓民国が朝鮮半島の南半分に成立して以降、11月からは韓国正規軍が加わることに。

事件の1年前、3月1日に済州島で行われた南北統一政府を求める島民のデモに警官と西北青年会が発砲し、6名の島民が殺害されたという経緯もあり、かねてより過酷な統治を行う米軍政および西北青年会と島民とのあいだの軋轢が高まっていたことも「4・3事件」の背景にあります。

朝鮮戦争の終わった後も1954年9月21日まで虐殺は続き、7年間繰り広げられた虐殺の犠牲者は3万人にのぼります。事件前に28万人いた済州島民は1957年には3万人ほどに激減していたほど、たくさんの済州島民が虐殺を逃れるために散りぢりになりました。
犠牲になった人々の大半は特段の主義主張もないごく普通の人たちだったにもかかわらず、米占領軍とその後樹立された李承晩(イ・スンマン)初代韓国大統領の都合にいいように「共産主義者の暴徒」とのレッテルを貼られ殺されたというのが、この事件のあらましです。

無差別で容赦のない殺戮を前に、殺されまいと政府軍の側についた人。わけもわからぬまま「共産主義者」として殺された人。生き残るために誰かを密告した人。長期に及んだ小さな島での殺戮劇の中、人々は隣人同士、友人同士でさえも疑心暗鬼に陥り、追い詰められた果てに、殺し合わなければなりませんでした。

何故殺されるのか。何故殺すのか。

分からないまま敵味方に隔てられた人々。

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この映画のタイトル「チスル」とは、済州島の方言でじゃがいものこと。

虐殺から逃れるために逃げ込んだ洞窟の中で、島民たちがじゃがいもを分け合っていたことからつけられたタイトルです。

騒ぎはすぐ収まるだろうとやり過ごしながら、おいてきた豚の心配をする島民の姿などを映画は描いています。

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オ・ミョル監督は1971年生まれで済州島出身。

3月21日の公開に先んじて映画はまず済州島で3月1日に先行公開されたのですが、同年7月現在、最終観客総数14万人を記録する中、済州道だけで実に3万人もの観客を動員しました。
済州道での公開にあたってオ・ミョル監督が「事件の犠牲者が3万人なので、同じだけの人々に見てもらうことで犠牲者の魂を慰めたい」と話していただけに、この数字がことさら意味深く感じられます。

では、映画『チスル』の日本版予告編をどうぞ。

予告だけでも本当に重くて悲しいです。

予告編やスチール写真でお分かりのとおり、この映画は全編モノクロームで描かれています。

私も日本で観ようと思っているのですが、白黒の映像が息を呑むほど美しいと評判のこの映画。
島民たちの洞窟での会話はユーモラスで、時に笑いが起きるほどとのこと。
牧歌的な島民たちの姿と、起きている凄惨な事態とのギャップを想像するだけで、胸が締め付けられます。

さて、韓国現代史の中で闇に葬り去られてきた「4・3事件」ですが、このほどようやく国家が正式に韓国軍の犯した島民虐殺の罪を認める意味で、4月3日を国家追悼日と制定することが3月18日に正式決定しました。
済州道ではこれまでもずっと犠牲者のための慰霊祭が4月3日に行われてきましたが、これにより犠牲者の追悼式典は国の行事として格上げされます。
遅きに失した感は拭えないものの、それでもせめて今からでも、為政者にレッテルを貼られ理不尽に命を奪われた方々とその遺族に対し、国として存分に反省し、二度とこのようなことが起きないよう心からの鎮魂を捧げて欲しいと願います。

長らく責任を取らずにきた韓国政府ですが、金大中大統領になったあと2000年に「済州(チェジュ)四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復」に関する特別法制定を公布、その後2003年10月には盧武鉉大統領が済州道民との懇談会の場で初めて政府として「4・3事件」を公式に謝罪。その後2006年4月3日には盧武鉉大統領は現職大統領として初めて慰霊祭に出席し、式典の場で道民に正式に謝罪するとともに事件の真相解明を約束してきた経緯があります。

それからまた月日が流れ、先日の2014年3月18日に「4・3犠牲者追悼日」を国家記念日として指定する「各種記念日等に関する規定」(大統領令)改正案が議決。ようやく追悼式典は国家行事となることになりました。
この知らせは済州道の人々に朗報として迎えられていることと思います。

4月3日はもう数日後に迫っていますが、国家の犯した甚大な過誤を認め犠牲者を弔う場に、現職大統領にも必ず出席して欲しいと願うばかりです。

対立から和解へ。憎しみから許しへ。相互理解と正義の実現へ。
それが犠牲者遺族たちの切なる声です。
その道がどれほど険しくても、わたしたちが目指さなければならない道でもあります。

事件の反動からいまだ共産主義的なものを激しく憎悪する人たち、政治に固く口をつぐむ人たち、見聞きしてしまった惨事の残像に苦しむ済州島出身者、済州道民が韓国に多数存在する中、南北分断と対立がそのまま持ち込まれてしまった在日コリアン社会にも同様の思いを生きる人々が実は大勢いるんですよね。
その意味でも、「4・3事件」犠牲者への鎮魂のためにつくられたこの映画が日本でも公開されることの意味は大きいと感じます。

このような良質の映画を日本でも見せて下さる方々に感謝しつつ。