みなさま、こんにちは。

関東地方、今日は暖かい秋の日差しが降り注いでいます。
早いもので、10月も今日で終わり。
そろそろ平野部でも紅葉が見られるようになる頃でしょうか。

この週末、私は埼玉県日高市にある高麗神社に行って参りました。

高麗神社には高句麗からの渡来人・高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が祭られています。
若光は716年、武蔵国に新設された高麗郡の首長としてこの地に赴き、未開の原野だったこの土地を豊かな土地へと開拓したそうです。

高句麗は紀元前38年が起源とされ、668年に新羅に滅ぼされるまで約700年続いて栄えた朝鮮半島北部の国です。
新羅に滅ぼされたあと、1799人の高句麗人が「高麗神社」とあるので朝鮮半島で李王朝が建国される前に栄えていた朝鮮半島発の統一国家・高麗(コリョ/こうらい)と間違える方もいらっしゃるかもしれませんが、高麗よりもっともっと前の高句麗のことを「高麗(こま)」と呼んでいます。
日本で奈良時代が始まったのは710年からというのが定説ですので、ちょうど飛鳥時代の終わりから奈良時代にかけてという感じでしょうか。
この頃のこの地域は確かに未開の地だっただろうと思います。

高句麗王族とされる高句麗使の玄武若光が703年に高麗王の姓を飛鳥朝廷から下賜され、以後高麗家となるのですが、飛鳥時代といえば聖徳太子。そういえば聖徳太子もともに活躍した蘇我氏同様、朝鮮半島からの渡来人とも言われていますよね。
そう考えるとまた悠久の歴史ロマンが楽しくなってきます。
もしタイムマシンに乗ってこの頃の日本列島や朝鮮半島を見て回れたら、私たちが現在でもまったく知らずにいるさまざまな人種や民族がうごめいている気がして、想像するだけでわくわくします。

歴史の惜しいところは、これを記述できる人間が必ず統治する側、権力を持つ側でしかありえないというところですよね。
政治的な判断やその時々の思惑、状況でいくらでもそれを記述する権限を持っている者によって都合よく書かれてしまうでしょうから、国の歴史書に記されないことにこそ真実があったりするのではないかと私は常々思っています。
誰にも書いてもらえず、あったことすら知られることなく消えていった無数の出来事をほんの少し想像させてくれ、存在の可能性を感じさせてくれるのが、民間に伝承されている物語なのかもしれませんね。

ともあれ、もしこれから行かれる方がいらしたら是非見ていただきたいのが、本殿に参拝するための階段の上に掲げられた板。
「高麗」の文字の間に小さく「句」と書かれています。
歴史考証とは離れた噂レベルのお話ですが、戦前にここを訪問したとある韓国人が「高麗ではない、高句麗だ!」とのことで書き加えたとも言われております。看板の文字、なかなかのミステリーです。
宮司様にわざわざお尋ねするのは申し訳ないので確かめずにおりますが、こちらを訪れるたびにあの控えめな「句」は誰が、どんな思いで刻んだのだろうと想像して楽しくなります。
もしかしたら、あの看板を作った匠が高句麗の末裔で、つい書き加えた、などということがあったら楽しいですよね。
いえ、もしかしたら、楽しいなどとは言えない、重たい裏話があったりするのかもしれませんが。

現在の宮司さんはなんと直系60代目なのだそうです。
こういうところにお嫁に行く方は、さぞやプレッシャーだろうなと要らぬ心配をしてしまいます。(笑)

この高麗神社、行かれたことのある方ならお分かりでしょうが、奉納をされた人の名札が鳥居に入る前の左手奥にあります。
歴代総理大臣や文豪の名前が並んでいます。

高麗神社は非常に有名な「出世明神」だそうなのです。
ここにお参りした直後に総理大臣になった人が多く、それでたくさんの有名政治家が奉納しているようです。
現在も活躍中の芸能人や文筆家の名前を探すこともできます。そして、当然ながらコリアンの名前も多いです。
現在のように「高麗神社」という名になったのは明治以後で、創建当初は「高麗明神」、以後もさまざまな名で呼ばれていたようです。

私は高麗神社に行くと非常に清々しく良い気分になります。
本殿で手を合わせると、当たり前のように韓国語でお参りしてしまいます。
このような場におまいりできて、とても楽しく幸せです。

ちなみに、高句麗の人間を祭っているとのことから、ヨン様ファンの方もたくさんお参りにいらっしゃるそうですね。
韓国で2007年に放送されたMBCのドラマ『太王四神記』で主演を務めたペ・ヨンジュンさんの役どころが高句麗第19代の王、広開土王であったためだそうです。
他にも、高句麗の建国者を描いた2006年のドラマ『朱蒙(チュモン)』の影響で、「高麗神社」を訪れる人がいらっしゃるのだそう。
参拝をすませて右手に進むと、事務所や待合室が見えるのですが、その入り口にそうした韓流関係の記事が貼ってあるので、場違いな感じがとても面白いです。(笑)

高麗神社から少し足を伸ばすと、すぐ近くに「聖天院」というお寺があります。こちらは若光を祭ったお寺で、若光の廟があります。
拝観料を300円払って上まで階段を上ると、あたりの景色を一望できてなかなか素敵です。


上まで息切れしながら上ると、朝鮮半島の歴史的人物をかたどった石造が並び、「在日韓民族無縁仏の慰霊塔」が中央にあります。
慰霊塔の左手前には八角亭を縮小した建物があり、さらに上に上ると、朝鮮半島の神話の人物・「檀君(だんくん)」の石造が出てきます。
なんだか盛りだくさんな「聖天院」です。
もっとも、一度上ればもういいかな、という感じがしなくもないのですが。(笑)

清浄な気が満ちた高麗神社、またそのうち訪れてみようと思います。