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5 2015年12月
みなさま、こんにちは。
12月に入り、一気に寒くなってまいりました。
外は寒くても、暖かい気持ちで冬を乗り切りたいですね。
さて、今日も書かずにおれない『六龍が飛ぶ』。
こんなに濃いのにまだ半分も終わってないという事実に気が遠くなりつつ、17話と18話をまとめてみます。
17話と18話。
大きな展開がありました。
一区切りつき、大きな転換点を迎えています。
物語の中心は、三悪党の行く末。ホン・インバン、キル・テミ、イ・インギョムVSイ・ソンゲ一派の戦いです。
バンウォンが悪党三人の弾劾を王に嘆願する文書を海東甲族(ヘドンガプチョク)全員の署名とともに勝ち取ったことで、追う立場から追われる立場に一気に逆転したホン・インバン。
ピグク寺のチョンニョン和尚の手下が会合の場にもぐりこんでおり、バンウォンが状況をひっくり返したことを素早く知らせたため、ホン・インバンは先手を打ってイ・ソンゲを討ちにいきます。
謀反を起こしたイ・ソンゲを捕らえるよう、王の教示が下されたとの嘘で軍を押さえ、兵を率いてイ・ソンゲのところへ出向くのですが、イ・ソンゲは先にキル・テミを討ちに行ったため、屋敷はもぬけの殻。
ホン・インバンは次なる一手に向け、王のいる宮殿を目指すのですが。
とにかく17話はキル・テミ。
キル・テミが、尋常ではありません。
そもそもキル・テミは、かつて反乱軍70人を一人で殺したことがある男。チョン・ドジョンは慎重に慎重を重ねて、人数をかけて素早く捕らえるよう強調していたのですが、自宅から脱出されてしまいます。キル・テミがピョンテクに渡って兵を整えることになれば、高麗は内戦になると憂慮した矢先だったため、一同に緊張が走ります。
一方、宮殿の手前。
本物の王命を持つチェ・ヨン将軍と対峙ののち、率いてきた兵に土壇場で捕らえられるホン・インバン。
このまま大人しくつかまるのかと思いきや、毎度の“사돈/サドン”、キル・テミが助けに来るんですよね。
護送兵らはキル・テミと剣を交えず逃げてしまいます。
ホン・インバンは川を下って一足先にピョンテクに、キル・テミはイ・ソンゲを殺した後合流するとのことで二人は別れ。
事態を知らされたイ・インギョムは、チョ・ミンス将軍とホン・インバン側にいた官僚二人を呼び、今後イ・ソンゲの権力が強まれば自分たちには未来がないので、チェ・ヨン将軍とイ・ソンゲの戦いに持ち込むためにチョ・ミンスにチェ・ヨンの最側近になるよう指示。
のみならず、捕らえにやってきたイ・ソンゲに、自分はホン・インバンやキル・テミと謀議して海東甲族(ヘドンガプチョク)を攻撃などしていない、捕まえるなら王命をもって来いとやりあい、武装解除されつつも軟禁状態に収まることに成功します。
さすが、しぶといんです、この爺さん。(笑)
せっかくキル・テミに助けられたホン・インバンでしたが、結局部下の裏切りもあって捕らえられ、バンウォンと体面。
この時にホン・インバンが、不吉なことを言うんですよね。
バンウォンも結局自分と同じだと。
チョン・ドジョンの描く未来に心が躍っているのか、それとも、それを自分が手にしたくて胸がときめいているのか。それに自ら気づいた瞬間、己の中の「虫」がうごめき始めると。
貼っておきます、動画。
今後物語りのキーとなりそうな、ホン・インバンとバンウォンの最後の会話。
前回からしきりに出てくる、このやりとり。
バンウォンの「危険性」に対する伏線のようですが。
恐らく最後まで、バンウォンは己の中にすむ「遠ざけるべき囁き声」と闘うことになるんでしょうね。
勿論この段階では、ホン・インバンの揺さぶり作戦に乗せられることもなく、元師匠に冷ややかに別れを告げられるのですが。
しかし問題は、キル・テミです。
ファサ団のチョヨンはホン・インバンに勝機なしと見てキル・テミを裏切り、官軍に引き渡そうとするのですが、一部が功名心からキル・テミに早まった行動を起こしたために、対峙した兵士たちは皆殺しにされ。
それに留まらず、食堂の人たちまでを殺しておいて、朝ごはんを食べてます。
キル・テミの秘められたる残虐性、ここに極まれり。
ヒグマですね。
コンセプトは、人里に下りてきた、ヒグマ。
誰も戦っちゃ駄目。麻酔銃プリーズ。(笑)
キル・テミが本当に凶暴で。
血糊が苦手な視聴者は、ちょっと見ないほうがいいかもしれません。
私は若干無理でした。
しかし、象徴的です。人を殺した手で最後までご飯を食べてるっていうあたり。
むさぼるために生き、生きている限りむさぼるのが、キル・テミの属性。
あの化粧顔と残虐性とのコントラストが、強烈です。
結局通りで挟み撃ちにするも、なかなか踏み込めないバンウォンの兄と兄弟子。兵の一人が「イ・インギョムの子分め!」と切りかかりましたが、あえなく瞬殺されてしまいます。「イ・インギョムの子分」といわれるのが特に嫌いなキル・テミは、今度これを言ったら誰でも殺すと激昂。加えて、3つ数えるうちに道を開けないと皆殺しにすると脅します。
固唾を呑んで見守っていたムヒュルは、『今“イ・インギョムの子分野郎!(イ・インギョム タッカリ)”と叫びながら出て行けば、キル・テミを倒す功績を残せるかもしれない』と思いながらも動けずにいるのですが。
聞こえてきちゃうんですよね~。
“어이, 이인겸 따까리!/オイ、イ・インギョム タッカリ!”の大声が。
オ~ラ~ボ~ニ~❤
ご覧頂きましょう、17話ラスト。タンセオラボニ登場シーン。
「三韓第一剣の名は、ここに置いていけ!」と立ちはだかります。
そんなわけでオートマティックに18話に突入。(笑)
自分を挑発したのが例の男だと気づいたキル・テミは、タンセを倒すために本気を出します。
互角の戦いを見せる中、タンセが左腕を切られてしまうのですが、「もうちょっとで切り落とせたのに、惜しい~。あんた、下手糞だね~」などといつもの余裕を見せるキル・テミに、なぜか不敵に笑うタンセ。
「お前、全部見えるぞ。お前の動き、全部読める」
タンセ、見切っちゃったようです。
キル・テミは到底信じていませんが。
こうなると、もはやタンセにとってキル・テミは敵ではありません。
何しろ動きが、見える、見える。
そうこうするうちに、加えられる決定打。
切られて膝を突いたキル・テミに、石を投げる村人。
キル・テミは「私がそんなに悪いことしたか!」と逆切れ。
バンウォンの兄バングァが「お前は弱いものから奪い続け、踏みつけにし続けた」と答えますが、キル・テミは大演説を始めます。
弱者から奪うのは、当たり前だろう? 強者からは奪えない。
世界の唯一の真理とは、強者は弱者から奪いつくすということだ、と。
「早く勝負をつけよう」というキル・テミに、容赦ない一撃を加えるタンセ。
こちら、悲しみをたたえながらキル・テミを容赦なく倒す、タンセのシーン。
*動画と台詞を追加しました。*
“그럼 약한 자를 짓밟지, 강한 자를 짓밟냐?
약한 자한테서 빼앗지, 강한 자한테서 빼앗냐고?!
세상이 생겨난 이래 약자는 언제나 강자한테 짓밟히는 거야. 천년 전에도 천년 후에도 약자는 강자한테 빼앗기는 거라고!
세상의 유일한 진리는 ‘강자는 약자를 병탄한다!강자는 약자를 인탄한다!’. 이것만이 변하지 않는 진리야! 그니까 빨랑 승부를 내자”
「そりゃ弱い者を踏みつけるさ、強い者を踏みつけるか?
弱い者から奪うさ、強い者からなど奪うものか!
この世が生まれてからというもの、弱者はいつだって強者に踏みにじられてきたんだ。千年前も千年後も、弱者とは、強者に奪われるものなんだ!
世界の唯一の真理とは、“強者は弱者を呑み込む!”、“強者は弱者を蹂躙する!”。これだけが変わることのない真理だ!
だから、さっさと決着つけよう」
「強者は弱者から、奪うんだ。こんなふうに」
勝利の喜びからは程遠い、タンセの表情。
悲しみに打ち震えているようです。
瀕死のキル・テミに名前を聞かれ、「三韓第一剣、イ・バンジ!」と叫びます。
キル・テミ絶命と同時に、歓喜の声が響き渡り。
歓声の中で涙を溜めているタンセ。
そんなタンセのうしろには・・・・・・。
ちょっと!!(笑)
出掛かってた涙が全部引っ込みました。
ここで出しますか、双子の兄を?(笑)
兄弟の死を見届けたキル・ソンミ。
これからまた絡んでくるんでしょうか?
ちなみに後のほうで、タンセに軽く嫉妬しながらも祝いの酒を勧めるムヒュルとタンセのやり取りがあるのですが。
三韓第一剣になった自分を羨むムヒュルを、タンセはその単純明快さが心から羨ましいと言うんです。そして、ムヒュルは三韓第一剣などには向かないと。乱世で武士として生きるために最も必要とされる才能とは、人を殺す時に快感を感じるような性格。ムヒュルの目を見れば、そんな人間ではないと分かる、と。
ムヒュルはタンセに、「あんたは? そんな性格には見えないけど」と問いかけるのですが。
「そうじゃなかった。でも、そうなった」
このシーンの動画も貼っておきます。
“나도 삼한제일검이 될 거야.”
“그걸 왜 해? 삼한제일검이 뭔데?”
“삼한에서 제일 잘 싸우는 사람…”
“그럼 삼한사람이랑 다 싸워봐야겠네.”
“그럼 너는? 너는? 너는 다 싸웠냐?”
“그러니까. 내가 왜 삼한제일검이겠냐고.”
“뭔 소리야. 뭐, 뭐가 그렇게 복잡해. 너는 생긴 것도 복잡해. 나는 깔끔한데.”
“얼굴도 마음도 깔끔해서 좋겠다. 비꼬는 거 아니야. 진짜 부러워. 그래서 넌 삼한제일검 못 돼.”
“이자식이 불쌍해가지고 친구라도 돼줄까 했더니만!”
“이런 난세에 무사로 살아가는 게 가장 큰 재능이 뭐라고 생각해?”
“뭐?”
“성격이야. 사람 죽이는 걸 즐기는 성격. 상대의 목숨이 끊어지는 순간에 희열을 느끼는 성격이라고. 근데 넌 그런 게 없어. 눈 빛이 그래.”
“너는? 너는 그런 성격이야? 아닌 거 같은데?”
“아니었지. 근데… 그렇게 됐어.”
「俺も三韓第一剣になる」
「なんでそんなものに? 三韓第一剣って、なんだ?」
「三韓で一番ケンカが強い人・・・・・・」
「じゃあ、三韓中の人とケンカしないとな」
「じゃあお前は? お前は? お前は全員とやったのか? 」
「だからだよ。俺のどこが三韓第一剣だ」
「何言ってんの? なんでそんなに小難しいんだよ? お前は顔つきまで小難しい。俺はすっきりしてるのに」
「顔つきも心もこぎれいで、いいな。あてこすってるわけじゃない。本当に羨ましくて。だからお前は、三韓第一剣にはなれない」
「お前なぁ! 可哀相だから友達にでもなってやろうかと思ったのに!」
「この乱世で武士として生きていく者にとって、一番重要な才能はなんだと思う?」
「なに?」
「性格だよ。人が死ぬをの楽しむ性格。相手の命が事切れる瞬間、喜びを感じる性格だよ。でもお前にはそういうのがない。目がそうだ」
「お前は? お前はそういう性格なのか? 違うと思うけど?」
「違ったさ。でも・・・・・・そうなった」
・・・・・・うーん。
タンセ、ほんとに?
変わってしまうのでしょうか。
タンセが人斬りに喜びを見出すなんて・・・・・・。(涙)
キル・テミの死を迎えて、急速に変わる世の中。
同じく死を間近に控えた囚われのホン・インバンにはチョン・ドジョンが会いに行きます。
チョン・ドジョンは、ホン・インバンのように学識が高く儒者の道理を備えた者がなぜこんなことになったのか、本当のところを聞きたいと訪れたのでした。
ホン・インバンの答えは、こうでした。
「孟子が間違っていたから」。
孟子は、自分の子どもでなくとも、井戸のほうに向かう子どもがいたら助けるのが人の本性だと言ったが、実際は自分の利益のためにわが子を井戸に投げ落とすのも人間であり、そのような人間を乱世で幾人も見たとホン・インバンは答えます。人は利己的で弱い。民草から為政者に至るまで、勿論自分も。拷問され、流刑に遭う間、自分がこのまま終わるのではないかという恐れしか残らなかった。物を学んだ分、疑うようになる、それが学のあるものの本性だと。
そんなふうに自分を合理化したのだなと言うチョン・ドジョンに、ホン・インバンはなおも続けます。
「合理化? そうだ。生きなければならないから。すべて嘘なのだ。人はみな、元来そういうものだ。高麗というこの国には、もう長いこと未来はなかった。そしてそれは、真実だ。私がそうしなかったとしても、この国には希望はない。
これからお前は、この国を再び立て直すつもりなのだろう。だがな。可能だと思うか?」
この台詞聞いてどーーーんと落ちる視聴者。
なんなんでしょう、このドラマは。
ドラマですか? それともドラマを借りた時事討論ですか?
変節した知識人代表、ホン・インバン。
高邁にばかり見えた学者が、権力による暴力にさらされた後、日和見主義からさらに進んで支配する側に身を置き、あらゆる知識と言葉を弄しつつ自己正当化をはかる。「それが人間だ」という、もっともらしい諦念顔で。
本当にこのドラマが描こうとするパターンは多岐、多様、そして複雑です。
脚本家さん、すごいなぁ。
と感心してしまいましたが、この話には続きがあり。
処刑場に引き立てられたホン・インバンに、最後の別れを告げにくるんです、チョン・ドジョン。
「反論でもしにきたのか? でももう時間がないぞ」というホン・インバンに、「兄弟子の言葉から大いなる気づきを得ました。有効に使おうと思います」と意外なことを口にするチョン・ドジョン。「完全に同意する部分もあります」と続けます。
どこの部分かと尋ねるホン・インバンに答えるべく、腰を下ろすチョン・ドジョン。
「“高麗には、もはや未来はない”」
凝視するホン・インバンに、チョン・ドジョンがこう続けるのです。
「私は高麗を立て直すつもりなど、露ほどもありません」
「まさか、お前・・・・・・?!」と絶句するホン・インバンに、「あの世があるなら、必ず見届けてください」と言い残し、チョン・ドジョンは去るのですが。
いやー、そうくるんだ!
と、視聴者若干震えがきました。(笑)
ホン・インバンとチョン・ドジョンは、いわば知識人の中の先輩後輩。
二人とも同じように学問を修め、学者の本分を全うすべく理想を追求し、その過程で同じように権力に拷問され流刑に処せられましたが、「国に希望がない」という共通認識の先に進んだ道は、一人は自分だけがよければいいという開き直りの道で、もう一人はみんなが良くなるための新しい世界づくりっていう。
なんだろう・・・・・・。遠い目になっちゃいます。
リアルがかぶってきてグッサリきますね、このドラマ。
物語りのほうはこの後、チェ・ヨンVSイ・ソンゲの構図にいやおうなく流れていきます。
キル・テミとホン・インバン亡き後、政治の世界の多数派は実はイ・インギョム側の人間たちなのですが、チョン・ドジョンはイ・ソンゲにこれらイ・インギョムの仲間を抱えさせようとします。
ところがイ・ソンゲは、イ・インギョムの下で甘い汁を吸ってきたような連中と手を組むなど、どうしても受け入れがたく。
いずれはチェ・ヨンを相手にしなければならないので力が必要だという考えをチョン・ドジョンが示したため、イ・ソンゲはさらに怒り。絶対にそんなことはしないと拒否します。
チョン・ドジョンは、イ・ソンゲとともにチェ・ヨンが新しい国づくりに賛同することは、絶対にないと考えていました。チョン・ドジョンが描く新国家政策では、土地改革が重要な柱となっていたのです。大地主であるチェ・ヨンは、土地を農民に渡すことを絶対に認めないだろう。であるが故に、いずれ対立することになるだろうと。
一方でチョン・ドジョンは、対立が不可避であったとしても、できるだけ穏便にチェ・ヨンに退いてもらうことを最優先に考えていました。チェ・ヨンを追い詰め、イ・インギョムへの徹底的な処罰を求めるのは得策ではない、仮にすぐ戻ってくることになろうとも、いまはイ・インギョムを流刑に処すくらいの緩さでいいのだと。
ところが。
囚われのチョンニョン和尚のところに、タンセとプニの母をさらった謎の一味のシンボルマークが届き、チョンニョン和尚は謎の指令を受けることにします。
なにやら指令を受けたチョンニョン和尚はチェ・ヨン将軍を呼び、自分はホン・インバン側の人間ではない、ただ情報を売る者として付き合ってきただけだと説明。
ピグク寺に隠してある、これまでのやり取りを記した日誌をチェ・ヨンに読ませます。
そこにはイ・ソンゲが安辺策成立や自身の政界入りを果たすため、適宜ホン・インバンやイ・インギョムの力を借りてきた事実などが記されており。
これは事実かと、チェ・ヨンは直接イ・ソンゲに突きつけます。
そして、自分はイ・ソンゲを信頼しているが、チョン・ドジョンは信用ならない。なので、それぞれイ・インギョムとチョン・ドジョンを駆逐しようと言うのですが、イ・ソンゲは「チョン・ドジョンを誤解している」と拒否。
実はそもそもチェ・ヨンは、「“イ・インギョムとチョン・ドジョンを駆逐しよう”と提案し、イ・ソンゲの本心を探るべき」と言われてこの場に来ているので、イ・インギョムの言うとおりイ・ソンゲがチョン・ドジョンをかばったことで、いずれイ・ソンゲはチョン・ドジョンの策略で自分を討つのだろうと確信し、その場を後にしようとするのですが、そこへチョン・ドジョンが駆けつけて18話は終了です。
ちなみにですね。
チョン・ドジョンが新国家のシステムについての構想を洞窟で披露し、官僚を互いにけん制・切磋琢磨させるシステムを構築することで民への横暴や不正を防ぐという筋書きにバンウォン以下若者たちが感嘆するシーンがあるのですが、バンウォンがそれを「手に入れたい」と心で漏らすシーンがありました。
まさに、ホン・インバンに言われたとおり、自分は何にわくわくしているのか。
そこが自ら怖くなったバンウォンは、プニに「もし自分が変わったら、殺す前に一度教えてくれ」と頼みます。
「殺す前に」という前置きが付いたのは、プニが「変わったら殺す」と即答したからなのですが。(笑)
やはり、バンウォンの「虫」。
ここがまた、重要なポイントになるんでしょうね。
悲しい予感に、今からため息。
それにしても、見ているだけでこんなに疲れるのですから、つくっているほうの労力は計り知れませんね、このドラマ。
台詞がいちいち、聞き流せないような重みを含んでくるので、毎回飽きることがありません。
いい加減飽きて中だるみしたいんですが、こちらのほうが。(笑)
キル・テミとホン・インバンが死んでしまったので、あの後をつげるインパクトを持つ悪人キャラはなかなか現れないと思いますが、なにしろまだイ・インギョムお爺ちゃんが生きていますので。
あの人が生きている限り、あのゴニョゴニョした喋りがまたしても陰謀を生んでいくのでしょう。
・・・・・・疲れない程度に引き続き見ていきます。
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6 Responses for "『六龍が飛ぶ』 第17話 第18話"
白香夏さま、こんにちは。
六龍マズイです。危険です。肩に力入りっぱなしです。
キル・テミの双子片割れ登場場面を除き。
あれは……パク・ヒョックォンさんとピョン・ヨハンさんの名演に痺れていた矢先に、私も椅子から転がり落ちそうになりました。
肩の力抜けよっていう製作陣の親切心ですか?
それにしてもこの脚本家さん、視聴者に「不親切」ですよね。誉め言葉ですが。
「これは悪い事で、この人は悪い奴だよー」「悪人も可哀想な所あるんだよー」なんていう分かりやすい球は投げてくれない。
剛速球を内角低めギリギリに連続で投げてくる。
「この人物の言葉や考え方が嘘だとか、間違いだとか、自分はこの人と違うとか、あなたは言える?」と、容赦なく問い質されてるみたいで、とっても頭を使わされ、考えさせられます。
それに「ドラマを通して現実の憂さ晴らし」的代理満足も易々と与えてくれない。
いよいよホン・インバン、キル・テミが転落していくこの17~18話は、途中まで結構ヤンヤ、ヤンヤの気分だったんです、私。
でも、キル・テミを倒したタンセの姿にギクッとしちゃって。
弱肉強食の現実に虐げられたタンセに、あそこで弱肉強食論を言わせるなんて。しかもあんな悲しそうに。
意趣返しにしても、切なすぎる返しです。
そして、今までずっと「被害者」だったのが一転、キル・テミ危うしとなるや、石を投げる民衆。
いや、もう、なんとも言えない気分で「うわあぁ……」とリアルにつぶやいてしまい、そこからはヤンヤモードに程遠く……。
チーム「チョン・ドジョン+イ・ソンゲ、バンウォン」は、志を一緒にできない、考え方の違う人たちを排除して新しい国をっていう道を選んだわけですよね。
ボロボロの政権腐敗と、それがもたらす民衆の犠牲という事情はどうあれ。
その「排除して」の前提条件が、今度は早くもチェ・ヨン将軍に向けられ、いずれは自分達同士になるのは確実で……。嗚呼。(泣)
ここまで見ていて、チョン・ドジョンとイ・バンウォンは似てる、と感じています。
二人とも「こんな世の中をなんとかしたい」って動機は純粋に持っているし、頭の回転も速くて権謀術数をためらわず、決断力や人への影響力だってある。
でも、目指すゴールは、チョン・ドジョンが三権分立?っぽい集団支配、イ・バンウォンの絶対王権と決定的に違うことが、示され始めましたね。
この二つ以外にゴールはないのかが、「根の深い木」でガンガン問われるので、前作(というより後作?)とも見事にテーマが繋がっていて、唸ってしまいます。
そして、似ていると言えばタンセとムヒュル。
彼らは似ているというより、むしろ裏表、鏡と言うべきでしょうか。
タンセの子役時代を考えたら、あのまま無邪気に過ごせていたら、ムヒュルみたいなキャラになっていたでしょうに。(泣)
六龍の情報が入りつつあった頃、タンセ改めイ・バンジとムヒュルが六龍に含まれていることに、実は驚いたんです。
どちらも大好きなキャラクターでしたが、物語的には裏方じゃないかと。
ごめんなさい、私が間違っていました、です。
脚本家たちは「新しい国づくりを成し遂げた人(たち)の英雄譚」や「青春群像劇」を描きたいわけじゃないんだと、今頃気付きました。
そういえば、イ・バンジの名の由来。
「後作的前作」の時点でイ・バンジの生い立ちを作り上げていたのかどうかは知りませんが、後付けだとしてもよくできてますよね。
あと、高麗王朝の王様が全然出てきやしない作りも巧いなぁと。
主役6人以外にも重要キャラクターがわんさといる中で、王様視点追加なんて蛇足ですし、「存在してないような存在感のなさ」が、高麗王朝末期のイメージにぴったりです。
後々「イ・バンウォンの王権」とのコントラストにもなりそうですね。
ああ、もう、回し者のように褒めすぎて、今後の期待値を無駄に上げてるんじゃないかと、心配になってきました。
個人的に、同じ「前日譚」ものでは、最後まで「面白くなる……んだよね?」と一縷の望みを懸けて、ついに「金と時間返せ!(怒)」になったスターウォーズep1~3の教訓があるので、「リメンバーSW、ノーモアSW」を胆に銘じてはいるのですが。
しまうまさま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
深く唸りながら拝見いたしました。
うーむ、そうなのですね。
最初の数話以降は見ずにきた『根の深い木』、このドラマが終わったら間違いなく見る気がします。
終わったらというより、終わる前に見てしまうかも。(笑)
テーマが繋がっているのですね。
既にバンウォンに関しては、強固な王権を志向する(もしくは実現済み)姿が既に『根の深い木』で描かれているということですよね?
うーん。絶対見ておかなきゃいけなかったですね、「六龍」見る前に「根の深い木」のほうを。
それにしても、高麗王の影の薄さがその後のバンウォンの「強固な王権」とのコントラストになるだなんて。
すごい・・・。これは、本当にそうなるんじゃないでしょうか。
しまうまさま、もしや、制作筋にいらっしゃるのでは?(笑)
お見事すぎる分析を伺って、「ほぉ~~~!」となってしまいました。
それにしてもタンセ。
あんなに悲しい顔でキル・テミと闘って。
ずっと悲しい顔をしてるのに、ムヒュルにあんなふうに言って。
私はまだタンセの気持ちを掴みきれていません。
キル・テミがタンセに止めをさされる前に「弱いものは奪われるんだ!」と繰り返し叫ぶシーン。この記事をアップした時は動画が見当たらず詳しく載せなかったのですが、このシーン、実は18話のハイライトだと思っていました。
とても「混乱」させるシーンだなと思います。
弱肉強食を旨とするからこそ自分は武術で一番になり、自分より強いタンセに倒されると分かっていて最後自ら倒されに行き。自分もそう思っているから、受け入れちゃってるんですよね、ある意味いさぎよく。
しかし、そんなキル・テミに踏みつけられてきた人たちにとっては、聞くに堪えない暴言で。
強いものを倒して一番強いと自ら周知させたタンセのあの悲しい顔の意味やら、力とはなんぞや、などなど、なんだかもうあのシーンひとつで色々考えてしまいます。
(ちなみに該当シーンの動画は見落としてただけだったので、追加しました)
いやはやほんとに、力が入りますね。
これは絶対『根の深い木』をご覧になった方には、さらにさらに面白いでしょうね。
私ははじめましてな感じで新鮮に唸っておりますが・・・。(笑)
しかし、駄目ですか、ep3も?
私の毎度の弱点なんですが、弱くて。ほんとに。イケメンに。(笑)
アナキンのヘイデン・クリステンセンに完全にやられて、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』だけDVD買いました。
ええ、「だけ」・・・。
ああああ。毎度しまらなくてすみません。(笑)
ありがとうございました。(^_^)
こちらにもお邪魔します。
今まで17話を見返していました。
うーん、いなくなって見ると、こんなにキル・テミが好きだったの? という気持ちが・・・(笑)。それとも、ホン・インバンが?
実は17話の最後のシーンを見たところまではこれからの対決にワクワクしていたのです。実際、アクションシーン、本当にかっこよかったです。でもキル・テミの「「世界は常に強者に踏みにじられる。千年前も千年後にも、弱者は強者に奪われるだろう。世の中に唯一の真理は、強者は弱者を併呑する。強者は弱者を○(打てません)呑する」を聞いて、タンセの眼が暗く悲しげになりうるんできたところで、高揚感がしゅ~~っと。絶望感や無力感がいっぱい・・・。キル・テミが市場の飯屋で普通の人を殺してしまったり、民がキル・テミが死んで石を投げ歓声を上げたりするシーンも、まったく一筋縄ではいかないドラマだと思いました。
実はこの前「根の深い木」の1話と2話を見直しました。その回は世宗が若い頃でソン・ジュンギさんが演じており、太宗との葛藤とチョン・ドジョンゆかりの人との葛藤が描かれているので、「六龍」との繋がりがどこにあるのか注意しながら見たら、また興味深かったです。この脚本作家さんは「善徳女王」の時、ミシルとトンマン(後の善徳女王)の6分間の政治論議シーンを書き、「根の深い木」では20分の世宗と対抗勢力(ネタばれになるので伏せます)の政治論議シーンを書きました。「六龍」は一部にそういうシーンがあるのではなく、全編にそういう台詞が散りばめられているのが、進化してるんだなあ、と思います。
にしても!
どうしてキル・テミに斬られたタンセの腕を誰も治療してあげないんですか? ヨニはそれに関するシーンがありましたけど、プニだって三峰先生だって、イ・ソンゲの家の人たちだっていいのに。可哀想すぎるじゃないですか。・・・そんな細かいことに憤慨する私はどうしようもないですねー。
キル・ソンミはこれから出てくるそうです。パク・ヒョックォンさんが「これからキル・ソンミでお目にかかります~」と挨拶で言っておられました(笑)。そして「無名」(?)という秘密組織もまた出てきて気になります。KBSの「鄭道伝」では「うーむ」と唸ってるばかりだったチェ・ヨン将軍、そして鄭夢周もこれから重要になってきますよね。50話で書ききれるのか、という気もしてまいりました。
eripodさま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
そうなんですよね~。キル・テミとホン・インバンがいなくなって、ポッカリ穴が。分かります。
あれを超えるインパクトのキャラ、なかなか登場しないでしょうし。(笑)
しかしキル・ソンミがこの後出てくるということは、18話でムヒュルの師匠が泣きながらチラッと言っていたキル・テミの「昔の顔」なども触れられたりするでしょうか。「あの子は女の子みたいにおままごとが好きで、それを変えさせようと武術を習わされたんだ。そしてあんなふうになって・・・」みたいに悲しんでいるシーンがありましたが。
「弱肉強食」に大きく傾いたキル・テミの背景がキル・ソンミによって語られたりもするかもしれませんね。
タンセ、ずっと血が付いてましたね、確かに。服も着替えてないし。
タンセはあまり自分を大事にしていませんよね。
傷の手当をしないとか、服もそのまま着てるとか、そのあたりから感じてしまいました。
タンセはこの後もにっこりする瞬間とかがなさそうで、悲しいです。
・・・にしたって、誰か面倒見てあげて欲しいですよね!ムヒュルのおばあちゃんでもいいから!
大体他にも服あるでしょうに、哀れっぽいタンセめ!(笑)
いやしかし、この後の展開を考えると・・・なかなか気が重いです。
歴史のドラマは、これがあるんですよね。
「昨日の友は、今日の敵」。
今どんなに仲が良くても、最終的に誰と誰がどうなるのかが分かっているだけに・・・。
うーん。頑張って頑張って50話も見たのに、ものすごく暗いラストで終わったら、立ち直れないですよね、私たち。(笑)
ありがとうございました。(^_^)
白香夏さま、こんにちは。
とっても御丁寧な返信コメントありがとうございました。
18話は見逃せないシーンばかりでしたが、確かにイ・バンジvs.キル・テミが一番印象的でしたね。
私もあそこが最大級にガッツンと来た気がします。
「弱肉強食が過去も未来も世の真理だ~」って叫ぶ時だったと思うんですが、キル・テミの目から涙がこぼれるんですよね。
一方のイ・バンジは、その言葉に憤りというより、悲しみか戸惑いか愕然か、言い表しようのない表情で。
キル・テミの涙、イ・バンジの表情、二人の台詞ーーおっしゃる通りまさに「混乱」させられるシーンで、ものすごく考えさせられます。
あそこは娯楽ドラマなら普通、「我らの凄腕オラボニが、ついにライバル悪党を成敗!キャッホ~~イ!」ってカタルシスをくれそうな場面じゃないですか、どう考えても。
カタルシスありませんでした。全然。1ミリグラムも。
六龍が終わる前に根を見られた方がいいのか、後がいいのか、自信満々でこっち!とお勧めしづらくて……。すみません。
六龍をここまで見た限り、「1本の骨太テーマがガチッとリンクしている気がおおいにするぞ!」ということだけは、言ってしまえそうですが。
こういった遡り系続編という試みは、特に映画ではそこそこありますが、ドラマではちょっと珍しいですよね。
私自身は、どれも作中の時系列ではなく、製作側と同じ時系列=作品ができた順=でしか視聴したことがないのですが、続編前日譚を見ながら「もう一人の自分が欲しい……。この先彼らがどうなるか知らずに見られる自分が」と思うこともあり。
製作時系列での視聴は、興味のある時代について、当時の歴史を勉強したり、その頃の新聞をめくってみたりするのと似ているかもしれません。
「ああ、ここが今につながる岐路だったんだ」「この時はこんな世論だったのか」という、遡るからこそ発見できる感覚と。
一方で、作中時系列は、やっぱり登場人物と一緒に時間を進んでいけるのが最大最強の魅力ですよね。
ああ、自分が二人ほしい……。
ところで、幸か不幸か製作現場にはかすったことすらなく、「ところで王はどこ?」が気になっていただけなんです。
私も長編史劇、特に「偉大な人の一代記」的なものは苦手で手を出さないのですが、見たことのある数少ない史劇では、王が主役であれ脇役であれ、結構おいしい役割?を持っていったような気がしまして。
ところが六龍では、「王命」なんていう単語は出てくるのに、ネス湖のネッシーのように姿を見せない王様だなあと。
それで、意図的に王を描いていないのかなと、穿った見方をしてしまいました。
実はキャスティングの手間と費用を省いただけ、という身も蓋もない理由でなければいいのですが。
SWでは、ヘイデン・クリステンセンン派だったんですね。
私は昔ユアン・マクレガー好きだったので、SW ep.1で帯湾(と間抜けな変換に心が折れそうになりつつ)には「何やっても許すよ!許せるさ!」の心境でした。
でも、確かep.2から熊髭ケノービになっていて、心が号泣しました。
ユアン・マクレガーと熊髭は違う!と。
ちなみに、六龍では、ピョン・ヨハンさんの口髭が「おおいにアリアリ」と髭査定しております。
と、最後に無理矢理、六龍へ話題を戻しておきました。
しまうまさま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
帯湾て!(笑)
とそこから湖面とつけてしまいましたが。(私の心を折る間抜け変換もご披露)
そうなんですよね~。
スッキリきゃっほう~が、ないんですよね~。
もうなんか、脚本家の哲学レベルが違いますね、このドラマ。
王が姿を表さない理由は、しまうまさまの読みどおり「意図的に」描いていないんだと思います。
実際にいないに等しい王だったでしょうし。
存在感のなさをそのままドラマにも描写。描写しないことによる、描写。ですよね。(笑)
朝鮮王朝で「強い王」が立ち上がってくることで、実際いいコントラストにドラマ的になりますしね。
というわけで、変わらずわたくし、しまうまさまの分析に一票。(笑)
しかし、コメント拝見したらまたちょっと迷い始めました。
なるほど、「後の物語り」を知っているが故の良さだけでなく、デメリット(とまで呼べるか分かりませんが)もあるわけですね。
それも納得です。
うーーむ。悩ましい。
でもいまは、「後で見る」に傾いてます。(笑)
私、段々心配になってきました。
ピョン・ヨハンさん演じるタンセ見たさに見始めたのですが、最終的に自分がタンセ/イ・バンジに共感できてるんだろうかと。
タンセの闇がどんどん深くなりそうで。本当に彼は、一人で孤独などこかの境地に行ってしまいそうです。人からの共感を拒否しつつ。
タンセが見たくて見始めたのに、最後までタンセの気持ちがつかめずに終わりそうな気がしてきました。
しかもこういうの書く脚本家なら、そういう不親切なこと、やりそう・・・。
・・・めげずに見ていきます。(笑)
ありがとうございました。(^-^)
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