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3 2016年4月
みなさま、こんにちは。
4月になり、気持ちも新たになる今日この頃。
この週末はお花見に出かけられた方も多いと思います。
東北地方や北海道にお住まいのみなさまにも、桜が満開になる暖かい春が早く訪れるといいですね。
さて、今日も『六龍が飛ぶ』。
ピョン・ヨハンさんが歌う『青山別曲/チョンサンピョルゴク』を取り上げます。
つい先日の3月30日に『六龍が飛ぶ』のOSTパート8として満を持して発売された『青山別曲』。
ドラマの中でピョン・ヨハンさん演じるタンセが物悲しく歌う歌として、ドラマ序盤から注目されていた曲ですよね。
ドラマのほうは2週間前にとうとう終わってしまったのですが、視聴者の心はなかなかタンセから離れず。私の頭の中でもこの歌がまだひっきりなしに流れています。
『青山別曲』は作者および年代は未詳ながら、歌詞や曲調の形式などが朝鮮初期のものとは異なることから高麗時代の歌謡であると推定されています。
朝鮮初期の歌のドライさに対し、この歌は生活者の感情をよく表しているとのこと。
内容としては、とある若者が俗世間を離れ、青山や海辺を彷徨い歩きながら自らの悲哀について歌ったもの。
歌についての詳細な記録が残されていないことから、歌の「話者」について様々な解釈が存在しています。
「青山で山葡萄などを食べながら暮らさなければならない、流浪の民の悲哀を歌ったもの」、「一揆に参加した農民、漁民、奴隷、大道芸人いずれかについての歌」、「悩みを解消しようと青山に行き、奇跡と安らぎを求めながら人生をあくまでも探求するインテリの酒の歌」などの解釈があるそうですが、いずれの解釈も時代的に外乱内憂の状況が長らく続いたこととも符合していますよね。
「失恋して青山にこもった男の歌だ」、「苦しい時代を生きなければならなかった女性の閉塞感と孤独を歌った歌だ」との説もあるそうです。
いずれの解釈にも頷けるところがあり、まさにドラマの中でタンセやカップニが歌うのにぴったりという感じがします。
「大道芸人(正確には광대ですが)」という解釈が出てくるのは、歌詞の中に「鹿が舞台の上でヘグム(奚琴/弦楽器)を奏でるのを聞いた」というくだりがあり、この鹿が「鹿の被り物」を指しているためだそう。「鹿の被り物をした大道芸人が登場するから」、ということなのでしょうね。
このあたりも講談師/講唱師をしていたタンセと被ります。
「青山」については、俗世の苦痛と苦悩から逃れられる特別な空間として意味づけされており、歌詞にある「耕された平原の畑」=「俗世」との対比にもなっています。
「耕された平原の畑」なども、すぐにプニが浮かんできますよね。プニは奪われながらもずっと土地を耕し続けてきました。
つらい俗世で懸命に土地を開墾し続けるプニと、その俗世すら追われ、流浪するしかなかったタンセ。
歌詞を全編に渡ってみてみると、まさにタンセが最後、どこにもない青山を求めて彷徨っている様を歌った歌に思えてきます。
以下、少し長いですが『六龍が飛ぶ』で使われた歌のもとになっている『青山別曲』を記してみます。
現在の言葉遣いとは異なるため、( )内に現代韓国語訳を記しておきます。
살어리 살어리랏다. 쳥산애 살어리랏다.
(살겠노라 살겠노라. 청산에서 살겠노라.)
멀위랑 다래랑 먹고, 쳥산애 살어리랏다.
(머루랑 다래랑 먹고 청산에서 살겠노라.)
얄리얄리 얄랑셩 얄라리 얄라.
우러라 우러라 새여, 자고 니러 우러라 새여.
(우는구나, 우는구나, 새여. 자고 일어나서 우는구나, 새여.)
널라와 시름 한 나도 자고 니러 우니노라.
(너보다 시름 많은 나도 자고 일어나 울며 지낸다.)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
가던 새 가던 새 본다. 믈 아래 가던 새 본다.
(경작하던 밭을 바라본다. 평원 지대에서 경작하던 밭을 바라본다.)
잉무든 장글란 가지고, 믈 아래 가던 새 본다.
(이끼가 묻은 쟁기를 가지고 평원 지대에서 경작하던 밭을 바라본다.)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
이링공 뎌링공 하야 나즈란 디내와손뎌.
(이럭저럭 하여 낮은 지내 왔건만)
오리도 가리도 업슨 바므란 또 엇디 호리라.
(올 사람도 갈 사람도 없는 밤은 또 어떻게 지낼까?)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
어듸라 더디던 돌코, 누리라 마치던 돌코.
(어디다 던지던 돌인가? 누구를 맞히려던 돌인가?)
믜리도 괴리도 업시 마자셔 우니노라.
(미워할 사람도 사랑할 사람도 없는데 돌에 맞아서 울고 있노라.)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
살어리 살어리랏다. 바라래 살어리랏다.
(살겠노라 살겠노라. 바다에서 살겠노라.)
나마자기 구조개랑 먹고 바라래 살어리랏다.
(나문재랑 굴조개랑 먹고 바다에서 살겠노라.)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
가다가 가다가 드로라, 에졍지 가다가 드로라.
(가다가 가다가 듣노라. 외딴 부엌을 지나다가 듣노라.)
사사미 짐대예 올아셔 奚琴(해금)을 혀거를 드로라.
(사슴이 장대에 올라가서 해금을 켜는 것을 듣노라.)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
가다니 배 브른 도긔 설진 강수를 비조라.
(가다 보니 불룩한 술독에 진한 강술을 빚는구나.)
조롱곳 누로기 매와 잡사와니, 내 엇디하리잇고.
(조롱박꽃 모양의 누룩 냄새가 강렬해서 나를 붙잡는데 난들 어찌하리오.)
얄리얄리 얄라셩 얄라리 얄라.
生きたいものだ 生きたいものだ 青山で生きたいものだ
山葡萄や猿梨を食べながら 青山で生きたいものだ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
鳴いているのだな 鳥よ 眠りから覚めて泣いているのだな
お前より悩みの多い私も 目が覚めてずっと泣いているよ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
耕した畑を眺めている 平原の耕した畑を眺めている
苔の生えた鋤(すき)をもち 平原の耕した畑を眺めている
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
どうにかこうにか昼間はやり過ごしたものの
訪ねてくる人も会いにいく人もいない夜はどうやって過ごそうか
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
どこに投げた石だろう 誰に当てようとした石だろう
憎い人も愛しい人もいないのに 石を当てられ泣いている
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
生きたいものだ 生きたいものだ 海で生きたいものだ
松菜や牡蠣を食べながら 海で生きたいものだ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
道すがらに聞いたのだ 打ち捨てられた台所のそばで聞いたのだ
鹿が舞台の上でヘグム(奚琴)を奏でるのを聞いたのだ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
道を歩いていると 大きな瓶で酒を醸していた
ひょうたんの花模様をした麹の香りが強く引き止めるものを
私にどうしろというのか
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
‘가던 새 가던 새 본다/耕された平原の畑を眺めている’とした部分については他にもいくつかの解釈があり、この部分を‘날아가는 새/飛んでいった鳥(=去ってしまったあなた)’と解するものも有力ですが、そのあとに続く単語との整合性の兼ね合いから‘가던 새’を‘갈던 사래’(耕作した畑)とみなした解釈をここでは採用しています。
『六龍が飛ぶ』で使われた『青山別曲』は、元の歌詞を現代的に改編し、曲を新たにつけたものです。(追記で情報を訂正・追加しています)
他の民謡歌手が歌っている『青山別曲』も聞いてみましたが、まったく曲調が異なり、思いっきり朝鮮民謡でした。しかもなぜか明るいっていう。
(*追記*)
『六龍が飛ぶ』の『青山別曲』のメロディーは、もともとあった曲を採用したもので、1977年の第1回大学歌謡祭で銀賞を受賞したイ・ミョンウさんの“가시리/カシリ”という曲をアレンジしたものです。
「カシリ」は「青山別曲」と同じく年代・作者ともに未詳の高麗時代の歌で、歌詞は愛する人との別れに対する嘆きの情をぶつけたものですが、イ・ミョンウさんは本来の「カシリ」に「青山別曲」の歌詞を一部混ぜて歌を作りました。
こちらがイ・ミョンウさんの歌った「カシリ」。
イ・ミョンウさんの「カシリ」自体にも原曲があり、イスラエル民謡の「夜に咲くバラ」のメロディーを採用しています。
こちらが元となったイスラエル民謡の「夜に咲くバラ」。
聞くと、完全にタンセの歌のカバーのようですが、まごうことなき本家はこちらです。(笑)
どちらも公式のものではないので、リンク切れの際はご了承ください。
(*追記ここまで*)
もともとこの『青山別曲』はとても暗いどんよりした歌詞と、その暗さに不似合いな明るい韻を踏んだリピート部分「ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ」の対比が特徴とされています。
暗い内容を無理矢理明るく歌ってる感じの、切なさ倍増な歌だったのかなと想像させるのですが、そう考えるとまさにヒット曲のセオリーどおりですよね。
暗い歌詞を明るい曲調に乗せたものって、テッパンに受ける気がします。
すごいぞ、高麗時代の『青山別曲』。(笑)
「六龍」では暗い歌詞を引き立てる物悲しい曲をつけていますが、これはこれでストレートに悲しめて良いです。ええ、勿論。
というわけで、いよいよお聞きいただきましょう。
こちらがピョン・ヨハンさんが歌う『青山別曲』です。
動画はSBSのyou tube公式チャンネルのものです。
(リンク切れになったため差し替えました。こちらは公式のものではないのでリンク切れの際はご了承ください)
청산별곡
살어리 살어리 랏다
청산에 살어리 랏다
멀위랑 다래랑 먹고
청산에 살어리 랏다
울어라 울어라 새야
자고 일어나 울어라 새야
너보다 시름 많은 나도
일어나 우는구나
얄리얄리얄라셩 얄라리 얄라
얄리얄리얄라셩 얄라리 얄라
누구에게 던지던 돌이냐
누구를 맞히려던 돌이냐
미운 이도 고운 이도 없이
맞아서 죽는구나
얄리얄리얄라셩 얄라리 얄라
얄리얄리얄라셩 얄라리 얄라
青山別曲
生きたいものだ 生きたいものだ
青山で生きたいものだ
山葡萄や猿梨を食べながら
青山で生きたいものだ
鳴けよ 鳴け 鳥よ
眠りから目覚めて鳴け 鳥よ
お前より憂いの深いわたしも
目覚めたあと 泣いて過ごしている
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
誰に投げつけた石なのか
誰にぶつけようとした石なのか
憎む人も愛する人もいないのに
石に打たれて死ぬのだな
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
サロリ サロリ ラッタ
チョンサネ サロリ ラッタ
モルウィラン タレラン モッコ
チョンサネ サロリ ラッタ
ウロラ ウロラ セヤ
チャゴ イロナ ウロラ セヤ
ノポダ シルム マヌン ナド
イロナ ウヌングナ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
ヌグエゲ トンジドン トリニャ
ヌグルル マッチリョドン トリニャ
ミウニド コウニド オプシ
マジャソ チュンヌングナ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
ヤルリヤルリヤルラション ヤルラリヤルラ
・・・・・・悲しすぎる。
最後に「石に打たれて‘死ぬ’」と持ってくるのは、反則ですよね。
「鳴けよ 鳴け 鳥よ/眠りから目覚めて鳴け 鳥よ」と訳した部分は、先に記した『青山別曲』の解釈にもあるとおり、本来は「鳴いているのだな鳥よ 眠りから覚めて鳴いているのだな」とすべきところなのですが、歌詞の言い回しが一部現代韓国語になっているのでどちらを意図しているのか分からないため、タンセバージョンでは鳥の部分を現代語の命令形とみなして訳しました。
もうひとつ。
こちらは公式のものではないのですが、カップニとタンセが歌う短いバージョンも載せておきます。
公式のものではないので、リンク切れになるかもしれません。
カップニと歌うバージョンも切ないですよね。
そしてもう一つ。
こちらは第11話から、『青山別曲』を歌うタンセを抜粋したシーンの公式動画です。
ヤバーイ。
いよいよがなじい。(涙)
このシーンはきますね。
ドラマの中でタンセが歌うシーンとして代表的なものですが、歌詞の意味を踏まえて聞くとかなりずっしりきます。
どうせなので、もうひとつ。
上記の11話のシーンをさらに加工した、ファンの方(推定)作成の動画。
最後がぶっつり切れないところに、ファンの愛、感じます。(笑)
動いてないのに、やっぱり悲しい。
っていうかさらに悲しい。
なんだ、これは。
しかしタンセはカッコイイですよね、静止画でも。(笑)
ドラマを視聴していた時も気づけばこの歌を口ずさんでいたものですが、なかなか中毒性がありますよね。
タンセの悲しみを十二分に表していたこの歌ですが、もとの歌詞を知ると、高麗末期の乱世を背景に、他の登場人物たちのみならず実際の当時の人々の悲しみをも背負った曲だったことがわかり、ただでさえ物悲しいこの歌がさらにずしりと響きます。
ドラマは終わっても、まだしばらくはこの歌が頭をめぐりそうです。
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16 Responses for "♪『六龍が飛ぶ』OST ピョン・ヨハン “青山別曲”"
こんにちは。
ありがとうございます「青山別曲」!
11話で放映されたときに
****
イスラエル民謡「夜に咲くバラ」のメロディーにキム・ヨンヒョン – パク・サンヨン脚本作家が「青山別曲」の歌詞をつけたものである。韓国では、1977年第1回大学歌謡祭でイ・ミョンウが「加時里(カシリ)」という曲で発表した。当時イ・ミョンウは、イスラエル民謡「夜に咲くバラ」に高麗歌謡である「加時里」と「青山別曲」の歌詞の一部を混ぜて作り、銀賞を受賞した。
****
という記事を読んだんですね。曲は古来のものではないんだなーと思いながら、頭の中に「?」が残ったままだったのですが、つまり歌詞はほぼ一つだけれど、時代時代で違うメロディの数パターンある、という理解でいいのでしょうか?
誰に投げつけた石なのか
誰にぶつけようとした石なのか
憎む人も愛する人もいないのに
石に打たれて死ぬのだな
訳を読ませていただいて、ここ、まさにその後の”三峰先生とその人々”のことを歌っていると今になってわかりました。うわぁ(涙)。この歌詞と最終回の最後に出た幸せな全員集合シーンがだぶってしまい、涙。
「憎む人も愛する人もいないのに」、ここがまた、将来のタンセの心情を表わしているようで悲しい・・・。
リンクしてくださったこの頃のタンセを見ていると、もう少し講唱師のタンセも見たかったなあ、と思いますね。
悲しいと言えば、今、KNTVでは「六龍」12話が終わったところで、12話は捕らわれたバンウォンを三峰先生が救う回なのですが、バンウォンが「爆豆(自分のこと)は早く摘み取ったほうがいいではないですか」と言うのに、三峰先生が「お前は若いからその若さに賭けることにした。お前の性格を叩きなおしてやる。これからは先生と呼べ」と返すんですよね。うーん、性格なおせなかったよねえ・・・本来ならワクワクするシーンで落ち込む私でした。
そして、前のエントリのコメントのお返事、ありがとうございました!
え、え、え、よ、よろしいですか? 感想をお伝えしにきても?
今、「ヘドウィグ」のOSTを聴いたり映画DVDを見たりして「おお、これをピョン・ヨハンさんはどう歌い、どう演じるのかっ」と前のめりになっているので、当日ピョン・ヨハンさんのヘドウィグを見たとたん、どうなるかわからないです。
白香夏さまも是非に是非にチケットゲットなさってください! もちろんチョ・ジョンソクさんの公演も。
eripodさま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
そうでした、『青山別曲』の作曲者!
新しく作曲された『無以異也』と混同していました。同じ方が作曲・アレンジを担当していたので。
ありがとうございます。のちほど本文のほうにも原曲情報を加筆しておきます。
そうなんです、書いてくださったようにイスラエル民謡の「夜に咲くバラ」をもとにした1977年第1回大学歌謡祭でのイ・ミョンウさんの「カシリ」を、メロディーそのままに持ってきた曲なんですよね。
聞いてみると本当にほぼまったく同じなので、不思議な感覚にとらわれます。
こちらも本文に載せておきますので、よろしければあとでお聞き比べください。
本当にタンセの歌う『青山別曲』は切ないですよね。
こんなにストーリーにリンクさせてくれなくてもいいのに。(悲)
『青山別曲』はなにしろ中世の歌なので、曲調に関する記述はあるようなのですが、どうなのでしょうね。書物に残された「曲調」がどこまでを指すものなのか。
その時代に「楽譜」として音階が残されているとは考えずらいのと、実際いくつかメロディがあるので、「『青山別曲』の中でも有名なバージョン」が民謡として歌い継がれているのではないかと推測しています。
それにしても、いまKNTVではそのあたりなのですね。
初見で見たときに、まさにわくわくする場面ですね。
もうあんな新鮮な気持ちで見れないと思うと、何か喪失感がよぎります。(笑)
ヘドウィグは、本当にご迷惑でなければ是非!っていうかいつでも!お待ちしております!(^^)
タンセが悲しすぎて、何か強烈なワンクッションを入れないと、普通にピョン・ヨハンさんが見れなくなっています。
下手したらこのまま延々とタンセのイメージを引きずりそうなので、私も是非にヘドウィグで無理矢理の転換を図りたいと思っているところです。(笑)
ありがとうございました。(^_^)
白香夏さま、こんにちは。
この曲と「ム~イ~イィヤ~、ム~イ~イ~ヤ~」が頭にこびりついているしまうまです。
恐ろしいことに、六龍2週目を制覇してしまいました。
50+50イコール、どう考えても100話……ですよね。軽く目眩が。
タンセとヨニには、初見時の倍は泣かされた気がします。疲弊しました。
この二人、バンウォンとプニみたいに、夢を語り合う場面も、好きだなんだと言う場面もないんですよね。振り返ってもやっぱり。
お互い、あんなに想いが深いのに。(涙)
大人タンセを「タンセ」って呼ぶのは、母親を除けばヨニくらいで。
「三韓第一剣イ・バンジ」も彼の一面ですが、やっぱり彼の本質は「タンセ」なんですよね。
いなくなった母親を恋しがって、プニのお兄ちゃんで、大事な人を守れなかった自分を責めて、殺しても飽き足りない相手にも子や母親がいるんだと思うとトドメの一撃を下せない……。
土地っ子タンセが、名前とは正反対に、大事な人を失って、故国の土地を離れるしかないなんて、悲しすぎます。
……気を取り直して。
2周目は捉え方が変化したり、意味を理解し直したり、はたまた予想外の所でポロッと泣けたり、でした。
初見は「ウルッと現象」皆無だったイ・ソンゲと三峰の絡みで、結構泣きそうになったり。
イ・ソンゲの「わしが建てた国だ!わしと三峰の犠牲で!」は、まさにその通りで、(身も蓋もない言い方ですが)バンウォンなしの建国はあり得ても、この二人なくしての建国は絶対不可能だったわ、と改めて。
最期の三峰。膝をついて頭を垂れた姿が生者に何かを託しているようでもあり、本人の言葉通り苛烈に生きる事に疲れきったようでもあり……初見と印象が違って映りました。
六龍たちにも六龍たち以外にも新発見、再発見があって、再び色々考えさせられましたが、それはさておいて、改めて痛感したのは、キャラクターの多様さとリアルさでした。
イ・セクやチョ・ジュンみたいなサブキャラにすら、「こんな人いるわ……」感があって。
典型的な善人キャラも悪人キャラもなく、よくこれだけ大勢の人物と、各人の内にある善と悪、強さと弱さの幅を書き分けたものだと感服してしまいました。
六龍に対しては、不満や残念な点が一つならずありますが、ありつつも、他の作品ではなかなか見ない人物描写と台詞の鋭さ、重さに感じ入らずにはいられず、ちょっと複雑な愛情を注いでいます。
なんだか、国語と社会はいまいちなのに数学は異様にスゴい子とか、タンパク質もビタミンもそこそこ程度なのに、カルシウムの含有値はすさまじく高い食べ物のイメージです。
「数学すっごいから全て許すわ!」「カルシウムキングだから認めるわよ!」みたいな。
最近、今更ながら脚本家たちのインタビューを幾つか見ましたが、確かに三部作説を言ってくれちゃってますね。やめてほしいです。(哀願)
鬱展開の果てに鬱エンディングしか考えられません。
六龍のみならず根の人たちの願いや必死さも、全部虚しかったの?と言わんばかりの悲惨物語しか。そんなの嫌だぁ。
この方達、信用ならないんです。根の後、「三者視点の構成は大変だった。二度とやらない」みたいなことを言ってたくせに「六」龍をぶち込んできたので。
三作目を今は渋っていても、やりかねないんじゃないかと心配になってきます。
六龍や根のような複眼構成をやめて、誰か記録者、観察者視点を固定しちゃって、とんでもなく批判的、風刺的に描いちゃうとか、い針振り切った創りならまだしも、先に何の実もない単なる権力闘争の複眼構成なんて……嫌すぎます。
随分前に読んだインタビューの一つで、パク・サンヨンさんは社会の進歩に懐疑的で、キム・ヨンヒョンさんは希望的だという話がありました。
映画でなじみがあったパク・サンヨンさんは「民主化後、世の中は良くなると思ったけど、社会の実態を見ていると疑問を感じる」みたいな話で、なるほど、でしたが、キム・ヨンヒョンさんは初めましてだったので、将来への見方が逆の二人がタッグを組んでいることが意外でした。
六龍を単独執筆していたら、それぞれどんな最終回にしたんでしょう。
ところで。
何かの病としか思えないのですが、実は100話に飽きたらず、またまた根を見始めちゃってます。
新手の病ですね。間違いなく。
たまに六龍との齟齬があるにはあるのですが、連作を想定していなかった連作にはありがちよねと、そこは目をつぶりつつ……どうしましょう。展開知ってるのに面白くて、1回1話で自分を止めるのが大変です。
映像も良くて、六龍もチャン・テユPDに撮ってほしかったわ、なんて我が儘な願望もつい。
ちなみにイ・バンジはですね、当然イメージ補正しながら見てます。
彼、六龍では、本気バトルだと最中に1、2回は斬られるじゃないですか。腕やら足やら。
そして、斬られた後にバージョンアップ。
というわけで、あちこちチョイ斬りされすぎて背が低くなり、顔形も変わったという方向で脳内変換しております。
声もピョン・ヨハンさんは低音ハスキーですが、高め設定になるので、人生で二度声変わりした人類の不思議君として、取り扱うことに。
根のバンジのキャラも好きなのに、結構ヒドイことを平気でやってのけてる視聴者です。
「好きなのに」って言葉が、我ながら白々しい気がしてきました。
韓国では総選挙なのですね。
よろしければまた、結果を熱く御披露してくださいね。
憤慨の熱さでないことをお祈りしつつ……。
しまうまさま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
斬らせすぎて背が低くなっちゃったタンセに吹き出しました!(笑)
すごいですね~!六龍をもう一巡されたなんて!
一巡50話ですよ?トータル100話?!
すごすぎます!(笑)
加えて「根」まで?!
ススンニムと呼ばせてください。(笑)
ふたりの脚本家の異なる傾向。
面白いお話です。ありがとうございます。
「六龍」でも存分に出てたと思います、その傾向。
民主化しても世の中は単線的に一気に良くなるわけではないのですが、そうは分かっていても早い結果を求めてしまう方なのかもしれませんね。
それでがっかりしてしまうというか。
一気に社会が経済的に豊かにならないのと同じで、民主主義は根付かせるためのプロセスを経ないと駄目なわけで。
きっとパク・さんヨンサンもお分かりなんでしょうけどね。自分の立場で時々に苦言を呈しておきたい、という感じなのかなと想像しました。
作品を生み出される芸術肌の方にはナイーブな方が多いですが、そこが魅力だからこそ作品を作り出せているというのもありますよね。
私もチラッと根のほうをダイジェスト的な動画で見たのですが、なんだか迫力がありますね!
わくわくさせる荒っぽさがありました。
イ・スヒョクさんも出ていて、もっと新人なかたかと思っていたのでビックリでした。
「根」は多分、見始めたらもう止まらない気がします。チラ見で止めるのが至難の業なので。(笑)
韓国の総選挙にも触れてくださってありがとうございます。
おかげさまで、大きく胸をなでおろしました。(笑)
野党が分裂したまま選挙戦に突入し、しかも選挙戦直前に自ら「お家の危機」を野党が招いていたので、本当に大変な状態でした。
野党の情緒に合わない人を党代表に招き入れたことが間違いの元なのですが、この方が理不尽な論理で何の問題もない現職議員や候補者を公認から外すなどしたために、フィリバスターで盛り上げたのに一気に荒れ地と化し。
公認除外の憂き目にあいつつ怒りをこらえた当事者のおかげで、どうにか持ちこたえた感じでした。
そんな野党のゴタゴタをこれ幸いと、与党は大統領の親衛隊をつくるべく公認候補を選び。
圧勝を確信したのでしょうね。野党分裂の時点で。完全に政党のていをなしていませんでした。まさに「私党」と呼ぶべき振る舞いで。
暗澹たる気持ちで選挙日を迎えましたが、有権者がいる。これを忘れてました。(笑)
有権者がとってもクレバーだったと思います。1与2野の状況下、首都圏の有権者は勝ち目のある第一野党候補にこぞって票を集め、有権者自ら1対1構図を作り上げました。
有権者の投票行動に感動を覚えた選挙となりました。
ありがとうございました。(^^)
白香夏さま、こんにちは。
韓国の選挙すっごかったんですね!
コメントを拝見して興味をそそられ、幾つかニュース記事を読んでみました。
韓国与野党のゴタゴタについて、上澄み液ヒトサジ程度を知っただけですが、こんな現実と同時並行で六龍を御覧になっていたら、ドラマに現実を重ねずにいられないというのも頷けました。
支持を広げる努力をすることと、支持しない人を排除することと全く別物なのに、イエスマン以外は公認から排除なんて…「もしもし?で、何がしたいの?頭は起きてますか?」ですね。
私ですら、根でちょうど見ている部分が思いっきり重なって。
韓国の方々の「重なる」感はもっと強烈でしょうね。
以前、六龍について「ダメな現実は現実として、それとは別の、高次元な問いかけをしている」みたいな事をおっしゃっていましたが、本当にそうですよね。
よく考えると、とても根源的、基本的な問いかけなのに、今の為政者も自分もロクに考えていない事だから、高次元に感じてしまう、と言いましょうか。
「政治とは?」「分け与える事」のQ&Aだや、「乱世が弱者の地獄、太平の世は強者の地獄」という言葉の意味等々…。
これらの問いかけは、現実の為政者に対して痛烈なパンチになっているのと同時に、庶民をも「ギクリ」「ハッ」とさせる警鐘めいたメッセージにもなっていて。
おっしゃる通り、芸術家ゆえのナイーブさが、そのようなものを書かせるんでしょうか。
希望を願いつつも敏感に失望の種を見つけてしまい、世の中に対して、炭鉱のカナリアみたいな役割を果たさずにはいられないのかもしれませんね。
それにしても、民主主義ってやつが根付くって何なのでしょうね。
どのあたりで「根付いた」と思えるんでしょうか。
なんだか、実は根付くことなんて永遠になくて、手放さないように、それこそ永遠に奮闘しなくちゃいけないものじゃないかって気がしてきます。
真面目な話はさておき、そろそろ六龍→根ループを脱して違う作品をと、放置したままの1988に行くか、ソンニュルの後はオ課長とばかりに記憶を後追いするか思案中です。
記憶は(先入観で)また華やぎ不足作品、イコール、心の乾燥注意報継続かしらとか、応答せよシリーズのノリまで頭が一気に切り替わるかしらとか、どうでもいい心配がつい。
ミスト程度の潤いで、頭の回路を程よくマイナーチェンジさせたいものです。
しまうまさま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
改めてみても、「六龍」ってシブい台詞が盛りだくさんでしたよね。
「乱世は弱者の地獄、太平の世は強者の地獄」とか、下手するとうっとりしそうです。(笑)
今はほんとに、資質と能力に問題ある人でも立候補して政治家になれてしまう時代なので、選ぶ側の厳しい目、賢い一票がますます問われている気がします。
「強者の地獄」、ウェルカムです。(笑)
『シグナル』のあとに始まったオ課長の『記憶』も、地味に評判いいですよね。
私は最終回視聴率38%を叩き出したという『太陽の末裔』に戻りたいのですが、行ったらそのまま帰ってこない気がするので、まず『シグナル』を制覇してからにしようと思っています。そのくせ『シグナル』を見終えたくないのですが、どうしたらいいでしょうか。(笑)
ありがとうございました。(^_^)
始めまして
momoといいます。
イ・バンジ(ヨハン君)が大好きです。
六龍を夢中になってみています。
最終回がおわったら、イ・バンジ(タンセ)ロスになることは間違いないです。
OSTを買いたいなと思っていたのですが、内容を見た時に「青山別曲」の表記がなくて、ヨハン君の名前がのっているのが「無以異也」だけでした。
もしかして、別に発売されたのでしょうか。
宜しければ、教えて頂けると嬉しいです。
いきなりで申し訳ありません。
momoさま
はじめまして。
コメント大変嬉しく拝見いたしました。
どうもありがとうございます。(*^_^*)
今まさに六龍をご覧なのですね。
本当にタンセ/イ・バンジにやられてしまいますよね。
私も半年間熱中しすぎたおかげか、いまだに次のドラマに向かえていません。(笑)
ピョン・ヨハンさん、本当に魅力的ですよね。
ご質問いただいた『青山別曲』の件ですが、momoさまが仰っているのはCD+DVDとして発売されたOSTのことですよね?
こちらのCD化されたOSTには、音源のみで発売されていたOST part8までのうち、7までが収められていて、ちょうどこの『青山別曲』だけが入っていないんです。
『青山別曲』は音源は発売されているので、韓国の各種音源サイトで買うことができるのですが、日本国内から買うことができるのかは、すみません。私は正確な情報を持ち合わせておりません。「利用権」などは日本から買えても、韓国国内でなければダウンロードできない設定になっていたりもするようなので・・・。
せっかくCDとして出すなら、この曲も外さずに入れて欲しかったですよね。
タンセの悲しい顔とこの歌が、今生々しくよみがえっております。(笑)
以上、なにかのお役に立てましたら幸いです。
よろしければ、またどうぞいつでも遊びにいらしてくださいませ。(^-^)
ありがとうございました。
白香夏さま、こんばんわ
お返事ありがとうございます。
日本で発売されたCDには入っていないのですね。
とても残念です。私は音源のみを購入したことがないので、あきらめ&悲しみモードですが・・
やっぱりヨハンくんの歌声は素敵ですね。大好きです(こればかりですが・・)。
私はイ・バンジ(タンセ)の憂いを帯びた顔が好きなので、その表情を見ながら、ときめき・時には涙しながら、六龍を見ていきたいと思います。
ありがとうございました。ブログを楽しみにしています。
momoさま
そうですよね。
どうせCDにするなら入れて欲しかったですが・・・。残念です。
六龍が日本でも人気が出て、訳詞つきで日本版OSTなども組まれたらいいですね。
コメントどうもありがとうございました。(*^_^*)
今更ながらのこの時期に初めまして。遅ればせながら「六龍が飛ぶ」を視聴後にこちらにたどり着きました。しかも、オリジナルの50話バージョンではなく、65話バージョンでの完走でした。変なところで次話に続く・・・となって膝カックンもありましたが、それでもじゅうぶん以上に楽しめました。
実は、ドラマ「鄭道伝」で朝鮮王朝創世期にあまり期待していなかったのですが、「根の深い木」に繋がるというので(しかも監督脚本が同じというので)見始めたのでした。両作品に共通出演している役者さん処理?がつらい箇所もありましたが、ずいぶん丁寧に作られていて楽しめました。チョンドジョンとヨニ、イバンジの関係作りは苦労したようでしたね。
トータルの感想としては、暗い話で哀しいよりは悲しい物語でした。ムヒュルの表情が回を重ねるごとに暗くなっていくのがつらかったです。民が笑っていない・・・はグサッとくる言葉でした(字幕ですが)。
最近見たからということではなく、間違いなく韓国歴史ドラマの中で一番好きなドラマだと思います。その後遺症とでもいいますか、「テバク」、「師任堂」も見始めたのですが、今イチ、先に進まずのこの頃であります。
自己紹介ではないのですが、還暦を過ぎた男性であります。これを機にblog、ゆっくり拝見させていただきます。楽しく役に立つ記事、ありがとうございました。
宮崎@大福さま
はじめまして。
コメント大変嬉しく拝見いたしました。
どうもありがとうございます。(*^_^*)
『六龍が飛ぶ』、ご覧になられたのですね。
それにしても、65話とは!驚きの長さでしたね。50話でも十二分すぎるほど長くて、しかも毎回話が重たいので、酸欠になりながら見ておりましたが。(笑)
志を同じくしていた人たちがやがて離れ、ひいては敵にまでなっていってしまう様が、本当につらく悲しかったですよね。
そんな中で放たれた、ムヒュルの言葉でした。「民が笑っていない」。
タンセの『青山別曲』をもう一度聞いてみましたが、本当にずっしりとまたきました。
まさにこのドラマを象徴する一曲でした。
私自身は時代劇を殆ど見ないので「テバク」、「師任堂」についても韓国内で一般的にどんな評価なのかくらいしか存じませんが、ハマったドラマのあとだとなおさら入ってこない面もありますよね。私は『王女の男』にはまってしまい、その後の『根の深い木』は最初の数話で止まってしまいました。(笑)
コメントどうもありがとうございました。
よろしければ、またいつでも遊びにいらしてくださいませ。(^-^)
白香夏さま:
お返事ありがとうございます。「六龍が飛ぶ」「根の深い木」のチームでまさに「王女の男」の時代に取り組む・・・みたいな話を少し耳にして、それも楽しみだなと思っていました。六龍→根の→世祖(首陽大君)時代へと無理なく繋がりそうですものね(六龍で善徳女王まで遡った時は驚きました)。
時代劇はあまり見ないとのことですが、造詣深い記事が多いのであちこち彷徨わせていただきます。
いよいよ湿気の多いイヤな季節到来。お体くれぐれもご自愛ください。
宮崎@大福さま
こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。(*^_^*)
そうなんですよね。『根の深い木』の制作チームが『六龍が飛ぶ』放送終了後、首陽大君の時代につなげるかもしれないと匂わせたことがあり。
もし本当にそんな展開になれば、さらに暗い結末を迎える三部作になりそうですよね。(笑)
他の記事にも関心を寄せてくださり、ありがとうございます。
なにかしらお気に召すものがあれば幸いに存じます。(^-^)
宮崎@大福さまも、季節の変わり目の折、どうぞお体ご自愛くださいませ。
ありがとうございました。
白香夏さま
はじめまして。
遅ればせながら「六龍が飛ぶ」にはまりまして、こちらの丁寧なブログ記事をとても参考にさせていただきました。
おかげでドラマをより深く楽しむことができました。ありがとうございます!
昨日、最終話を見て無事完走し、すこし放心状態です…。
高麗を倒すところまではわくわくして見ていたのですが、バンウォンの心がチョン・ドジョンから離れていくところから辛くて辛くて。
ユ・アインのバンウォンは素晴らしく全話を通して一人の男の変遷を演じ分け、
良い面と悪い面をあわせもつ複層的なキャラを表現する巧さに吃驚しました。
高い理想を掲げ希望に溢れた青年が、徐々に権力を欲し残酷なことも厭わなくなる怖ろしく抜けめない男に。時々、過去の自分との乖離に切なくなる表情などもとてもよかったです。
もともと韓国映画が好きなのですが、最近は気になる俳優をきっかけにドラマを見るようになり
映画とドラマを行ったり来たりするようになって忙しいです…。
最近では「シグナル」もとてもよかったですが、春クールのドラマで日本でリメイクされるようで
あの面白さを再現できるのか楽しみ半分、不安半分といったところであります…。
またお邪魔させてください。ありがとうございました!
MIOさま
はじめまして!
コメント大変嬉しく拝見いたしました。
どうもありがとうございます!(*^_^*)
また、せっかくコメントを下さいましたのに図らずもお返事が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
『六龍が飛ぶ』、ご覧になられたのですね。
本当に一話一話の内容がぎっしりと重くて、見るほうも体力を削られるようなドラマでした。
終盤のほうでは禅問答の様相が色濃くなり、なにか急にはぐらかし始めたような雰囲気に戸惑いを覚えもしましたが、そんな中でも一貫して驚嘆させ続けてくれたのが、私もユ・アインさんでした。
ユ・アインさん、最後の最後まで素晴らしい演技でしたよね。矛盾を抱えていくバンウォンのさまを、分裂していくバンウォンの内面を、非常に説得力を持って表現していたと思います。
ところで、『シグナル』が日本でもリメイクされるのですか? 存じませんでした。
原作の筋立てが魅力的なので、リメイク版も忠実に則るなら大きく転ぶことはないと思いますが、今調べてみましたところイ・ジェフンさんの役どころは坂口健太郎さんが演じられるのですね。
チョ・ジヌンさんの役どころが北村一輝さん。
キム・ヘスさんの役どころは吉瀬美智子さん。
なるほどー。メインキャストを拝見した感じでは良さそうな雰囲気ですね。
リメイクも好評を博し、そこから本家も注目される流れが作られるといいですね。
ご丁寧に感想をお寄せくださって、心からありがとうございました。
どうぞよろしければ、またいつでも遊びにいらしてくださいましたら嬉しいです。(^-^)
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