みなさま、こんにちは。

今日も、前回に引き続き『黒い司祭たち』を取り上げます。
今回は映画のあらすじと感想など記してみたいと思います。
映画の内容に触れていますので、あらかじめご注意くださいませ。

もう随分前に見たのですが、なかなか感想を書けずにいた『黒い司祭たち』。

なぜ書けなかったのかというと。

怖かったからです。(笑)

寒い寒い時期に見て、本当に背筋が凍りついたので、せめて暖かくなるのを待っていました。
冗談のようですが、本当の話です。(笑)

というわけで、本日もネタバレ満載で映画の内容から書いてみます。
これを夜中に開いてしまった方、もし怖がりなほうでしたら明るい時にお読みくださいませ。
私も夜中に書くのが怖くて、アップのタイミングを図りかねていましたので。
ええ、私は単に怖がりすぎですが。(笑)

この映画は、私が知る限りではまだ日本での公開情報はないようです。

ですが、おそらく公開されるのではないかと思うので、見るのを楽しみにされている方は、申し訳ありませんがこのまま閉じて頂くか、薄目を開けてご覧くださいませ。(笑)

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では、まいります。

ストーリーの部分は正確に映画の時系列どおりではない箇所もありますので、あらかじめご了承ください。

ソウルのとある街角。
「バラ十字会」所属の外国人神父二人が何か焦ったような様子で車を走らせているところから映画は始まります。
若い神父は袋をかぶせられた獣を必死に抱えています。
彼らは韓国のチョン・ギボム神父から「12形象のうちの一つが韓国に現れた」との書簡を受け取り、バチカンから派遣されてきていました。

悪魔祓いを終わらせるために急いで車を走らせる二人でしたが、そこで交通事故を起こしてしまいます。
通りがかった一人の少女を轢いてしまったのです。

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二人の神父はやむを得ないといった表情で少女をそのままにし、走り去ってしまい。

ところが、神父を乗せた車は、交差点に差し掛かった次の瞬間、走ってきた車に激突され、二人とも亡くなってしまいます。

それと同時に少女はまるで無傷のように起き上がるのです。

不安げな顔で。

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こうして神父二人が抱えていた「悪霊」に取り憑かれてしまった高校生、ヨンシン。

少女を救うには悪魔祓いを行うしかないものの、かつてキム神父を助祭に従え悪魔祓いを主管してきたチョン神父は、いまや意識不明の状態。

力を貸そうとしない国内のカトリック教会に業を煮やし、キム神父はバチカンに直接手紙を出し。上からの指示で動かざるを得なくなった韓国カトリック教会は、ようやく対策を話し合うための会合をひらきます。

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とはいえ教会の大衆性を考えれば公式に悪魔祓いを認めるわけにはいかないということで、非公式に手を貸すことにします。つまりは「黙認」です。

実はキム神父は、ヨンシンとは個人的にも良く見知った仲でした。
ヨンシンもカトリックの信者だったのです。
キム神父は娘のようにヨンシンを可愛がっていたのでした。

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交通事故のあと、様子がおかしくなったヨンシン。

物忘れが激しくなったり、奇妙な感覚に襲われるようになっていました。

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そしてある日、キム神父の前で飛び降り自殺を図ってしまうのです。

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幸い命は取り留めたものの、植物状態に陥ってしまったヨンシン。

ヨンシンを救うべくキム神父の「悪魔祓い」が始まるのですが、11人もの補助司祭が続々とやめてしまい。
「悪魔祓い」は一人で行うことはできないのです。

危機感を募らせたキム神父は、カトリック神学大学の学生の中から補助司祭を探すことにします。

体力があり、肝が据わっていること。
ラテン語、ドイツ語、中国語の3ヶ国語を駆使できること。
強い霊気をもつトラ年生まれであること。

キム神父はこうした条件に完全に符合する学生を探して欲しいと学長に依頼します。

鋭い霊感を生まれ持った、トラ年。

それに唯一当てはまったのが、神学大学のはみ出し者的存在である、チェ・ジュノ。

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寮を抜け出して酒を買いに行ったり、テストでカンニングするなどはお手のものの劣等生ぶりです。

そんなチェ・ジュノですが、夏休みの間合唱団の練習に参加しなくてもいいという「餌」をぶら下げられ、補助司祭を即座に引き受けることになります。

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そもそもチェ・ジュノは「悪魔憑き」など信じていませんでした。
神学大学でそうしたことを学ぶこともないので、当然といえば当然の反応といえます。

それでもキム神父は、まずは過去行って来た儀式についての資料を集め、勉強しておくように申しつけ。言われたとおり「チェ助祭」となったジュノは直前まで助祭を務めていた先任者に会いに行くのですが、彼はとても疲れ切った様子で暮らしており、体には奇妙なあざのようなものが広がっていました。
直接話を聞こうとしても、やめておけとしか言わない、先任者。

その帰り道、チェ・ジュノは吠え立てる犬を見ながらかつてのトラウマを呼び起こします。

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ジュノはかつて妹ともに野犬に襲われ、自分ひとり逃げて助かった経験があったのです。
妹を救えなかった深い罪悪感がよみがえるチェ・ジュノ。

持ち帰った資料で早速予習を始めるチェ・ジュノは、先任者が渡してくれた、悪魔祓いの際の録音テープを聞き始めます。

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ところが、ジュノのこの行為に悪霊たちが反応を始めてしまいます。

ジュノが恐れる、妹を殺した犬。
その犬が幻覚となって、突如寮に現れたのです。

不可思議な現象に不安を感じざるをえないジュノ。

悪魔祓いができるのは、年に一度、陰暦7月15日だけでした。
この日は「中元節」。
中華圏ではこの日は、天国と地獄の扉がすべて開かれる日とされ、地獄から開放された死者の霊を弔うための供養が営まれる日となっていました。

その日を迎え、ジュノは、少女の体から追い出した悪霊を一時的に乗り移らせるための子豚を引き取りに。

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一方キム神父は、チョン司祭が意識を取り戻したと聞き、病院に駆けつけていました。

ところが、看護師たちは怪訝そうに打ち明けるのです。
「部屋に腐ったようなにおいが充満している」と。

その言葉にピンとくるキム神父。
部屋に入ると、確かに師匠であるチョン・ギボム神父が意識を取り戻していました。

その耐え難い臭気から、チョン神父が悪霊に取りつかれてしまったことを悟るキム神父。

キム神父はチョン神父をベッドに括り付けますが、ヨンシンを救うために出て行こうとするキム神父を、取りつかれたチョン神父が霊能力を駆使して行かせまいと止めます。

悪霊たちがキム神父を止めるべく、一斉にうごめき始めていました。

大事な儀式を前にチェ助祭が秘めていた、もうひとつの任務。
それは、キム神父の「監視」でした。

学長はキム神父に対し、なにやら怪しげなことを行っているようなので、チェ助祭に監視するよう任務を与えます。
中でなにをやっているのか記録するための、ビデオカメラも渡しつつ。

こうしてサムギョプサルの店で待ち合わせた二人。
外に子豚をつないで、豚肉を焼く、シュールな状況が繰り広げられるのですが、ここでキム神父はチェ助祭を挑発します。

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かつて妹を野犬の襲撃で失ったことを知っていたキム神父。
キム神父は、本当は神父になどなるつもりはなかったのに、妹への罪悪感と冥福を祈る気持ちから神父を目指したのだろうとチェ助祭の動機を見抜きます。
触れられたくない痛みにずかずかと踏み込まれ、険悪な雰囲気になるチェ助祭。

キム神父は若いチェ・ジュノのことをはなから信用していませんでした。
それを言葉でも態度でも露骨に表し、「お前は何もしなくていい」とまるきり突き放しています。

ただ、実はキム神父がチェ助祭に揺さぶりをかけたのは、悪霊がかけてくるだろう揺さぶりに事前に免疫をつけさせるためでもあったのですが、勿論そんなことがチェ助祭に分かるはずもなく。

悪い空気を引きずったまま、明洞の繁華街を抜け、少女ヨンシンのところへ向かう二人。

ところが、ビルにまさに入ろうとした暗がりの中で、事件が起こるのです。

チェ助祭の亡くなった妹が、目の前に。

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その幻覚を前に、チェ助祭は取り乱します。

二人の頭上に、悪霊は追い返すかのように鉢を落としてもいました。

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キム神父は恐れをなしたチェ助祭を奮い立たせるべく、言葉に力をこめます。

悪霊がかつて、ヨンシンを殺そうとして病院から飛び降りさせたことを話すキム神父。
男の体に入り込むべきところを、たまたま通りがかったヨンシンの体を「宿」にしてしまったのだと。
悪霊は今もヨンシンを殺し、別の男の体を乗っ取ろうと狙っていることをチェ助祭は知ります。

実はバチカンは、チョン神父宛の手紙で、悪霊を確実に殺すためにヨンシンも犠牲にしなければならないとしていました。
チョン神父の病室で、その手紙を読んでいたキム神父。
勿論、キム神父はその指示に従わず、可能な限りヨンシンの命を救い出すことを目的としていました。

悪霊を追い出すには、本当の名前を聞き出さなければならないとキム神父。
悪霊の言葉に耳を貸さず、追い詰めて名前を自ら白状させなければ駆逐できないのだという言葉に、緊張が走ります。

「男の体に乗り移ろうとしている」と聞いただけで、チェ助祭が狙われると分かってしまうのが、恐ろしいところです。(笑)

二人が上がってみると、ヨンシンのところには先客がいました。
両親が呼んだ、シャーマンの親子です。
ピクリとも動かない脳死状態のヨンシンの傍で、お払いの儀式を続ける女性。

一度はシャーマンが嫌で逃げ出したその女性の姿に、「運命に従うことにしたのだな」と頷くキム神父。まるで新米のチェ助祭に言い聞かせるようでもあります。

シャーマンの親子が渾身の力をこめてお払いをした後、バトンタッチするキム神父。
部屋には吐き気を催すほどの臭気が漂っていました。

儀式に必要な物を備え、境界線を引くために塩でベッドを取り囲むキム神父。
この中にさえ入らなければ悪霊はチェ助祭の存在に気づかないので、決して境界を越えてきてはならないとキム神父は格段の注意を促します。

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はじめこそ、学長に言われたとおりビデオカメラを回していたチェ助祭でしたが、悪霊がまったく反応を見せないことからすぐにキム神父が気づき、ビデオを止めさせます。

仕切りなおし、再び始まる悪魔祓い。

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すると、植物状態のはずのヨンシンが次第に反応をし始めます。
悪霊が姿を現し始めているのです。

さまざま言葉を弄したり、可哀想なヨンシンの意識が戻ったかのように振舞ったり、どうにかしてキム神父を惑わせようとする悪霊。
キム神父はまったく動じることなく悪魔祓いの儀式を進めます。
目を白黒させながら補助司祭としての役割を果たしていくチェ・ジュノでしたが。

思わぬ失態を演じてしまいます。

ヨンシンに声色を使う悪霊を追い出すべく、ヨンシンに手をかけるキム神父。

ヨンシンを殺してしまうのではと焦ったチェ助祭が立ち上がり止めようとするのですが、思わず境界を崩してしまうのです。

瞬時にチェ助祭に気づく悪霊。
本性を表し、チェ助祭をターゲットに定めます。

・・・・・・怖すぎるのでスチール写真は載せません。(笑)

無理です。

無理すぎます。

力の弱ったキム神父を気絶させる悪霊。
チェ助祭は突如一対一で悪霊と対峙する羽目になる野ですが、到底勝ち目はありません。

なにしろ悪霊は、チェ・ジュノが助祭を引き受けた時から彼を監視し、彼のことを知り尽くしているのです。

助祭を引き受けた時、学長に語った「でも、興味は沸きますね」というジュノのフレーズを暗誦してみせる悪霊。
のみならず、妹のことまで持ち出し・・・・・・。

「失せろ!」と吠え立てる悪霊のあまりの勢いに、たまらず逃げ出してしまったチェ助祭ですが、ふと建物を出て自分の足元を見ると、靴を履いていませんでした。

妹が犠牲になったあの日。
あの日も、靴が片方脱げたまま逃げ出した自分。

このままでは永遠に妹も、自分も救うことはできないと考え直したチェ助祭は、新たな決意で再び部屋に戻ります。

力強い決意で戻ってきたチェ助祭に危機感を感じたのか、さらに邪悪に襲い掛かろうとする悪霊。

さまざまな外国語を駆使しながら、チェ助祭を翻弄しようとします。
キリスト教がこれまで犯してきた過ちや罪状をとうとうとまくし立てる悪霊。

それでも、人が変わったように毅然とした態度で臨むチェ助祭。キム神父とチェ助祭の追求を前に、悪魔の勢いにもかげりが見え始めるのですが・・・・・・。

最後の結末は、ばらさず残しておきます。

ええ、これだけ書いたら、もう書き切ったも同然ですが。(笑)

でも、もしかしたら日本にも入ってくるかもしれませんので、ラストまでは明かさずにおきます。

この映画は公開された直後から、シリーズ化して欲しいとの声が上がっており、「今回の悪魔の序列よりもっと上の悪魔と対峙する設定で、少なくともあと2、3回はシリーズでできる」と期待するする人も出てくるほど。

実は悪霊の名前は、古代イスラエルの第3代ソロモン王が書いたとされる魔術書『レメゲトン』の中で、ソロモン王が封じたとされる72の悪魔の中からつけられています。
名前は伏せておきますね。

「シリーズ化」の期待、分かります。
神学生チェ・ジュノが自らの過去の痛みを乗り越え、成長していく姿が描かれていることから、この二人のコンビでまた作品を見てみたいと思う人が現れるのでしょう。
2作目が出たら、私も間違いなく見に行きます。(笑)

この映画で韓国で初めて「エクソシスム(悪魔祓い)」という西欧的な題材を正面から扱う上で、監督は韓国的・東洋的な要素を盛り込むことにも腐心したそうです。

そのひとつと見て取れるのが、「12の形象」。
劇中、悪魔の「12の形象」は干支の動物の姿をしています。

また、この映画で強く意識されているのが、「虎/寅」。

チェ助祭はトラ年ということで選ばれていますが、監督のインタビューでは、実は神父たちの名前にすべて「虎」の漢字が使われていることが明かされています。

キム神父は「虎の神」を意味するキム・ボムシン。「ボム/ポム」は虎を意味する韓国語です。そしてチェ助祭は「準備の整った虎」という意味をこめて崔準虎(チェ・ジュノ/チェ・ジュンホ)。
また、キム神父の師にあたり、病に倒れるまで祓魔師(エクソシスト)として献身していたチョン神父には「虎が起き上がる」という意味で鄭起虎(チェ・ギホ)と名づけたそうです。

悪魔祓いを行える唯一の日を『中元節』としたところにも、東洋的な文化背景を映画に取り込もうとした意図が汲み取れますよね。「西欧の宗教儀式」というイメージがいやおうなく前面に押し出される題材に、土着の文化背景をつなぎ合わせようとした試みは、劇的に効果的だったとまでは言えなくとも、少なくとも「遠いどこかの出来事」と思わせないための仕掛けとしては成功したように思います。

ヨンシンがいる雑居ビルが明洞の只中にあるのも「韓国的なもの」を際立たせるための装置でしょうし、その明洞のビルの中でまさに中元節ということで両親がムダン(巫堂。シャーマンのこと)を呼んでいるというシーンも、司祭服の二人とのコントラストが非常に際立ち、良かったと思います。
ムダンのシーン自体は、ちょっと怖かったですが。(笑)

監督自身、この映画を完成させるまでに100人もの神父と霊能者・シャーマンにインタビューを重ねたのだそう。
そうして得た情報を、節度を持って溶け込ませたのが感じられます。
とても怖いのですが、過剰なところがない映画なんですよね。
過剰に見せずに厳選する姿勢に、作り手のプライド、こだわりが窺えます。

そしてやはり、なんと言っても圧巻だったのは、ヨンシンを演じたパク・ソダムさん。

後半の数十分は、まさにパク・ソダムさんの独壇場となるのですが、本当に恐ろしいです。正視に耐えぬほどの演技力です。って語義矛盾ですが。(笑)

パク・ソダムさんは複数の言語を駆使し、獣の鳴き声まで演じているのですが、すべて自前の演技なのだそうです。
見ている時から「吹き替えかな?」と思うほど、外国語のセリフも完璧。に聞こえます。(笑)
なんと2000人の中からこの役を射止めたそうですが、本当に見事でした。

ただ、あれですよね。
パク・ソダムさん。これから先、飲み会で友だちにノリで「あの声やって、やって」とせがまれてやってあげたら、みんなから嫌がられるパターンですよね。
って急に妄想入りましたが。(笑)
いや~、でもほんとに、私がお友だちでも、絶対にあの声は目の前で再現して欲しくないです。どんなにパク・ソダムさんが好きでも、無理です。涙がにじみます。怖すぎて。(笑)

というわけで、『黒い司祭たち』。

「怖い」の基準は人それぞれでしょうが、私は十分怖かったです。怖かったのですが、なぜかまた見たくなる、不思議な魅力の映画でした。
いえ、決してカン・ドンウォンさん目当てなわけでは!(とは言い切れない。笑)

この映画、初めに見たときは「怖い」がどうしても先立ちますが、人を救おうとする温かさが実は全編通して感じられるんですよね。

往年のオカルト映画『エクソシスト』は怖すぎて二度と見る気が起きませんが、この『黒い司祭たち』をまた見てみたくなるのは、やはりベースに流れているのが人間的な温かさ故かもしれません。

監督自体も狙ったという「刑事もののような雰囲気」。
実はこれ、人によっては「見飽きた構図」と言われてしまう「ベタな構図」なのですが、ベテランと新人の物語が定番になるのは、やはりそれだけの魅力があるからなのだろうと思います。口は悪くて温かみのあるベテランだったりすれば、なおのこと。新人がイケメンだったりしたら、「なおのこと」×2倍?!(笑)

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もし日本でも公開になりましたら、是非ご覧になってみてください。

「温かい」などと感じている余裕がないほど、ひたすら怖いという方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな時は是非またもう一度。

二度見てもただ怖いだけでしたら・・・・・・。
本当にすみません。(笑)