みなさま、こんにちは。

夏のような暑さだったソウルから戻りました。
日本はすっかり梅雨に突入ですね。
思わぬ涼しさに、衣替えがはかどらない今日この頃です。

さて、今日は2014年に韓国で公開された映画『慶州』(邦題仮)をご紹介しようと思います。

日本未公開ですよね、パク・ヘイルさんとシン・ミナさん主演映画、『慶州(キョンジュ)』。

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チャン・リュル監督によるこの映画は、2014年6月に韓国で公開されました。

映画のタイトルどおり、およそ千年の歴史を誇る古代国家・新羅の都、慶州を舞台にしたこの映画。さながらロードムービーのようなつくりになっています。

新羅は、かつて初めて朝鮮半島の統一国家となった古代王朝です。
その歴史は千年にわずか8年及ばぬ992年と長く、紀元前57年から935まで56代続きました。
その新羅の都だった慶州周辺には、かつては100万もの民が住んでいたとされ、2千年の時を刻む古都にはいまも古墳群がそこかしこに残っています。

さて、本作品。パク・ヘイルさんとシン・ミナさんという二人のスターを起用しながら、恐らく韓国でもほとんど知られていないと思います。
なにしろ映画の累積観客数は、63,517名。

見間違いかと思わず桁を数え直してしまいましたが、やっぱり6万3千517名。
これもまた、商業映画としてはすさまじい数字ですよね。(笑)

私自身は昨年この映画を見たのですが、映画の地味な印象に反し、予想をはるかに上回る面白さを感じました。
面白さ、というと語弊があるかもしれません。
なんと言うのが適切なのか、とにかく摩訶不思議な映画です。
なにかに化かされたような、一杯食わされたかのような感覚に陥る映画。しかも、終始「まったり」していて特段の事件が起こるでもなく、パク・ヘイルさんの服装よろしくやる気なさそうな雰囲気なのに、投げかけてくるメッセージはものすごく難解なんです。一度見たくらいでは到底飲み込めません。(笑)

観客動員数が6万人台でしたので、到底日本公開は望めないかと思いますが、この映画は日本で公開してみて欲しいと感じました。
この映画、全体を覆う空気感が、まったく韓国映画らしくないのです。
でも、「日本の映画にはこういう感じ、あるよね」というような。
ぼんやり、まったり、さしたる激しい展開もなく進む日本の映画の雰囲気。それでいて惹きつける不思議な魅力。
これは日本のみなさまにもご覧いただいて、この「韓国映画っぽくない感じ」を一緒に検証して頂きたかったのですが、公開は・・・・・・ないのでしょうね。(笑)

ちなみに私はこの映画を見て無性に慶州(キョンジュ)に旅立ちたくなり、今回実際に行って参りました。
見終えると慶州に旅立たずにおれなくなる映画なんです。(笑)

というわけで、映画のストーリーをご紹介しましょう。
日本公開がない前提で、ネタバレ満載でお届けします。

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物語の主人公はチェ・ヒョン(パク・ヘイル扮)。

大丘(テグ)国際空港に朝早く降り立った彼。親しかった先輩チャンヒ急死の知らせを受け、7年ぶりに北京から韓国にやってきました。

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タバコを取り出し、匂いを嗅いでいると、母親に連れられた黄色いワンピースを着た女の子に「そこで吸っちゃ駄目」とたしなめられるヒョン。親子とはタクシー乗り場で別れ、葬儀場へ。

ヒョンを待っていた親しい先輩チュノン(クァク・チャヒョン扮)は、チャンヒは朝いきなり死んでいたこと、若い女と結婚し2年は仲良く過ごしたものの1年後には女の浮気が発覚。1年も口を利かないままで死んだことなどを、妻への怒り交じりにヒョンに聞かせます。

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妻が疑わしいと知り、解剖したほうがいいのではとヒョン。二人で悪口を言っているところへ、その妻が挨拶に顔を出し、気まずい思いをしたりして。

タバコを吸いに外に出た二人ですが、相変わらずヒョンは匂いを嗅ぐだけ。
ヒョンには中国人の妻がいるのですが、妻がタバコを嫌がるため吸わずにいることがここで明かされます。

7年前、3人で行った慶州のとある伝統茶屋で自分が撮ってあげたチャンヒの写真が遺影になってしまったと沈むヒョン。あの伝統茶屋の壁に春画があったと口にするヒョンですが、チュノンは覚えていない様子です。

チュノンの誘いを断り、一人で慶州に向かったヒョン。高速バスターミナル近くのレンタルバイク屋で、一日7000ウォンで自転車を借り、ゆらゆら気ままな慶州一人旅をはじめます。

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目の前には古墳群。

陵にお構いなしに上って遊ぶ地元の幼稚園児たちと恋を育む高校生カップルを前に、懐かしさに駆られたのか、ヒョンは大学時代の後輩ヨジョンを電話で呼び出します。

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ヨジョンが来るというので気を良くしたヒョンは、自転車で伝統茶屋を探し出し、外から写真を撮りはじめるのですが、店の主人と知り合いと思しき男が現れ、なりゆきで客として中に入ることに。

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男はヨンミン(キム・テフン扮)で、茶屋の主の名はユニ(シン・ミナ扮)でした。

黄茶(ファンチャ)を頼み部屋をうろうろするも、あの日の春画が見当たらず。

思わず壁に張り付きます。

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・・・・・・怪しすぎる。(笑)

壁紙をはがそうとする仕草にいぶかしむユニは、「知り合いに似ている気がする」とふとヒョンを見つめたあと、お茶を淹れ始めます。

マンウォル寺の和尚が昨日持ってきてくれたばかりの、出来立ての黄茶を最初に飲めるラッキーな客だと話すユニ。黄茶が好きだというヒョンに、「これは和尚様が好きなお茶なのに」とヒョンを珍しがります。

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ユニが3年前からこの店をやっていることを聞き出し、自分は7年前に来たと言うヒョン。
「壁に春画があった筈なのに」との言葉に一瞬顔を固くしたユニは、客があまりに反応するので3年前に韓紙でふさいだのだと続けます。

偶然ユニの姓が「孔」であることを知るヒョン。ユニは「父親は孔子から78代目」だと話し、店を出るヒョンを送り出します。

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美しいユニを収めたくなったのか、外からスマホのカメラをかざすヒョンでしたが、覗いてみるとユニは映っていませんでした。

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そして、新慶州駅。

怒ったような顔で近づいてくる黄色いワンピースの女、ヨジョン。
その姿を嬉しげにスマホに収めるヒョン。

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せっかくソウルからやってきたというのに、2時間しかいられないから近所で軽くお茶でもしようというヨジョンの怒ったような様子に戸惑うヒョン。
どこかの店の軒先で、気まずい雰囲気のなか水のペットボトルを差し向けます。

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その時、ちょうど目の前にあった占い小屋のおじいさんが顔を出し、「ソウルのお嬢さん、こちらへどうぞ」とヨジョンを占い小屋に招き入れます。
ヨジョンはヒョンを待たせて一人だけ中に入り、その後二人で食堂へ向かうのですが、焼酎を勧められるも首を振るヨジョン。

昔はよく飲んだじゃないか、何年ぶりの再会なのにと不満げなヒョンに、ヨジョンは「でも飲まない」とつれなく言い返します。

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そのくせ中国人の女は本当に気が強いのかなどと、苛立ちながらも関心を見せるヨジョン。妻を一度でも疑ったことがあるかなどと突拍子もないことを言うため、ヒョンは占いでなにを言われたのかと尋ねるのですが、その答えは「この先お前は子どもを持てない」という衝撃的なものでした。

驚いて黙るヒョンの前で、泣き出すヨジョン。
弱ったヒョンは、家庭生活は上手くいっているのかと尋ねるのですが、ヨジョンは鋭い顔でヒョンを睨み付け。
直後ヨジョンは夫からと思しき電話を受けると、慌てたように「帰る」と席を立ち、駅に向かいます。腹を立てたヒョンは「もう会わないようにしよう」と告げ、二人は気まずいままひとまず新慶州駅のホームで電車が来るまでベンチに並んで待つのですが、この時ヨジョンが酒を飲まなかった理由が明かされます。

かつて泥酔しヒョンと一晩を共にした時、妊娠してしまったのだと。
なぜ言わなかったのかと驚愕するヒョンに、「先輩は責任取らない人だから」と返すヨジョン。
来た時にスマホで撮られた写真も、ヨジョンは全部消していきます。

着いた時に寄った観光案内所にまた出向くヒョンは、自分に好意を見せる中国語の話せる若い職員に世間話がてら「この辺に小さな石橋があったはずなんだけど」と尋ねます。
7年前、泥酔していて場所はよく覚えていないが、橋の下に水の流れる音がしたのを覚えていると。職員は酒のせいで幻聴が聞こえたのではと返し。

若い職員はヒョンの外見のよさに好意的でしたが、もう一人の年上の職員はヒョンがなにか変として、警戒を見せます。

案内所を出た後、テグで会った親子にまたすれ違うヒョン。

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あてどなく歩き、公園で太極拳するおじさんに合流したりしつつ、結局ヒョンは自転車を置いたままの伝統茶屋「アリソル」に戻ります。

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そこには「日本の奈良に似ている」などと話し合っている日本人観光客の女性二人組みが先客としていました。

ヒョンを見て「俳優さんかな? そんな気がするんだけど」と女性たち。小声で訊かれたユニは、このおかしな男をからかおうと思ったのか、そうだととっさに嘘をつくのですが、真に受けた女性たちは「どこで見たんだろう。映画かな?ドラマかな?」と楽しそうです。
あげくには写真を撮って欲しいと頼まれ。

「なぜ僕と?」

「カッコいいから撮りたいんですって。お願いします」

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ユニに半ば強引に写真を撮られるヒョン。

「はい、キムチ」

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このシーンがもう最高におかしくて、このお二人にも何か賞を差し上げたくなるくらいでした。(笑)

一度店を出た女性たちが再び戻ってきたため、忘れ物かとユニが尋ねるのですが、女性は神妙な様子で「韓国の方にお詫びしたかったことがあるんです。過去の日本の過ちをどうぞ許してくださいね」と思いがけない言葉を口にします。

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その言葉をユニに訳され、「私は納豆が大好きです」と大真面目に答えるヒョン。「え? 納豆?」と聞き返す女性に、ユニは「痛ましい過去は勿論忘れてはいけませんが、これからは一緒に前に進むほうが大事だと思います」と嘘の通訳。

「なにこの妙なリアリティ」と視聴者がっつり心がわしづかみに。(笑)

部屋にまた戻るヒョンですが、突然さっき葬儀場で会った先輩の妻が目の前に現れます。

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いきなりの不思議ワールドに受身が取れずにいる視聴者をよそに、語り始める妻。

いわく、夫は殺害されたのではない。彼が自分で決めたことだ。
でも、自殺ではない。高僧と同じで、夫は自分の死ぬ日をかねてより決めていたのだ、と。

「死ぬ日を決めたあとは、高僧たちは肉体は現世に置いたまま俗世との縁を切ってしまうんですって。チェさんはお分かりですよね? 理解してくださいますよね?」

ヒョンはそれには答えず、先輩の妻の手をとります。

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でもそれは幻。

ヒョンは幻覚を見ていたのでした。
ヒョンに、疲れてるようだと言いながらプーアール茶を持ってくるユニ。

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ユニの態度は、先ほどの一件で随分軟化していました。
二人でお茶を飲みながら、孔子の故郷を訪ねるべきではないのか、中国に来ることがあったら北京にも寄ったらどうかなどと世間話をし。

春画のいきさつを再び尋ねるヒョンは、そんなにああいう絵が好きなのかと聞かれ、「あれ以来、時々あの絵が思いだされるんです」と答えます。
この絵は、前の茶屋の主人が美しい人で、その人目当てに通っていた画家が描いたものだと聞かされるヒョン。
ここでヒョンが東北アジア政治学で教鞭をとっていることが明かされ。

にわか雨に降られ、一緒に庭に干してあった花をよけたりしつつ、ほんの少し打ち解けた雰囲気になる二人。
雨に濡れたユニは、まったく同じ白いシャツに着替えます。

雨上がりの庭で写真を撮りたいというヒョン。
自分は映りこみたくないとユニがいうので、二人は背中合わせになりながら庭の中央を回ります。

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そこへやってきたユニの友だちのダヨン(シン・ソユル扮)。彼女たちととともに、誘われるがまま地域の謎の会合に着いて行くヒョン。
店に向かう前にユニはヒョンの自転車の後ろに乗って、一緒にレンタル自転車を返しにきます。
また少し縮まった二人の距離。

店に着くと、そこには北朝鮮学が専門の朴教授や、フラワーアレンジメントの先生が参加しているのですが、朴教授はヒョンが北京大学の高名な韓国人学者であることにすぐさま気づき、チェ・ヒョンに取り入ろうとし始めたりも。

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そしてここでバッグから納豆を取り出して食べ始めるんですよね、ヒョン。
さっきの「納豆が大好き」が本当だった瞬間。
っていうか、意味不明すぎます。(笑)

遅れてきたヨンミンの職業は、刑事でした。ポムン湖で母子が自殺したと話すヨンミンに、ヒョンは黄色いワンピースの子だったかと尋ね。テグ空港でも、慶州でも見たと話すのですが、この一言でヨンミンに怪しい人だと思われます。

ユニを呼び出し、ヒョンに気をつけるよう釘をさすヨンミン。
どうやらヨンミンはユニに気がある様子です。

朴教授は自分をヒョンのコネで北京大学の特別講師として呼んで欲しいと人知れず迫るのですが、断るヒョンに態度を豹変させます。
自分は慶州の教授風情だから、馬鹿にしているんだろう、と。
そんな朴教授も、ユニの厳しい制動には抗えず。

その後、カラオケに興じたりしつつ、深夜、「双子」の陵に上っていくヨンミンとユニ、ヒョン。

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夜の古墳群は、ひときわ怪しい美しさです。

大きな陵に上ったユニは、死んだらこの中に自分も入りたいとヨンミンに話したあと、「中に入ってもいい?」と土に向かって叫び始めます。

向かいの陵ではユニと同じポーズのヒョン。

結局3人は、文化財を守る守衛にとがめられ、すぐ陵を降ります。
刑事であるヨンミンは、とっさに「自殺事件の容疑者がこちらに逃げてきたから」とばればれの嘘をつき。

「自殺」に「事件」とつけるのが笑えますよね。

ヒョン、この後日本から電話が来て、実は日本語が話せることも判明するのですが、結局ヒョンはユニのマンションに招き入れられます。

窓の外には陵。

「キョンジュでは陵を見ずに暮らすのは難しいの」とつぶやくユニ。

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死者と人間が同じ場所に共存している、なんともいえない慶州ならではの光景。

ユニの部屋には無人花で有名な中国の画家の絵がかけてあるのですが、書いてある文字を読み下すヒョンに、夫が死ぬ前に持ってきた絵なのだが、分かるのかと驚くユニ。

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そこにはこう書かれてありました。

『人々が散り散りになりし後、三日月が浮かび、空は水のごとく清らだ』

ユニはこの男も夫同様死ぬ運命だと感じたのか、それとも忘れ得ぬ夫を思い出したからなのか、寝室に一人こもって『人々が散り散りになりし後、三日月が浮かび、空は水のごとく清らだ』とつぶやいた後、ヒョンの傍に座ると突然ヒョンの耳を触ります。

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二人の間になまめかしい雰囲気が漂い始めたその次の瞬間、誰かがノックする音。

ヨンミンでした。

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ヒョンに旅券を見せろと迫るヨンミンですが、何も嘘がないことが分かると詫びて帰っていきます。その時間が明け方4時っていうありえなさ。(笑)

再び二人になると、ユニは身の上話を始めます。
夫の死後、朝晩酒を飲んでいたらマンウォル寺の和尚にお茶を勧められ、茶屋を開くにいたったこと。
夫はうつ病で自殺したこと。
ずっとヨンミンが傍で支えてくれたこと。

「あなたは夫と耳がそっくり。でも触ってみたら全然違った」とユニ。

どこかの寺から聞こえてくる明け方の鐘を聞きながら寝ることにする二人。
ユニは意味深にもドアをそっと開けておきます。

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男は女の寝室の前でうろうろした後、煩悩と戦うためなのかろうそくを遠くから吹き消したりしています。

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なんとも滑稽な姿勢。(笑)

寝付けない二人。

それでも何も起きはしませんでした。

しばらくすると、携帯に中国の妻からメッセージが入ります。
喧嘩したことを後悔し、帰ってきて欲しいと願っている妻。

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ヒョンはそのままユニの家を去るのですが、朝食をとっているところへヨジョンから電話が入り、「夫が慶州にあなたを捕まえにいった」と聞かされ、逃げるように店を出ます。

通りすがりに昨日の占い小屋に入るも、そこには若い女の占い師しかおらず。「昨日のおじいさんは?」と尋ねたところ、「数年前までここにいた祖父はもう亡くなりました」と返答。

混乱し、逃げるように走り出すヒョン。もうこのあたりから観客もわけわからない状態に。(笑)

駅までの道を急いでいると、今度は前日の夜に見た暴走族が目の前で事故死します。
ヒョンはまたもや走り出すのですが、ふと自分が石でできた「橋」のようなものの上を走っていることに気づき、立ち止まります。怯えたようにしゃがみこむヒョン。そこはからからに乾いた川原。
ところが土の下から水の流れる音が聞こえてくるんです。

カラカラの川原を抜け、ぐんぐん進むヒョン。
そしてたどり着いた場所は、川の前でした。

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向こうに川の見える場所で立ち尽くすヒョン。

一方ユニは店で一人、例の春画のある壁紙はがしてみます。

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現れる春画。

と同時に時間は7年前にタイムスリップ。

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死んだチャンヒも含めて3人で春画を見ているのですが、チュノンは春画の男の顔がヒョンに見えると笑います。そうではなく、女がヒョンで男のほうは俺だと答えるチャンヒ。春画には「一杯飲んでおやりなさい」と人を食ったようなユーモラスな言葉が書いてありました。

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先輩二人がはしゃいでその春画を見ているところに、女主人がお茶を持って来たため、おしゃべりは中断。

でも、その姿は、ユニです。

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「・・・・・・え?!」と観客が大混乱している間に、映画は終わります。

いかがですか?

ちょっと意味不明ですよね?(笑)

この映画は「生と死」が隣り合う慶州の地で繰り広げられる、霊的な、といえばいいのか、生と死の境界を交差する地点としての慶州を描きたかったようです。

人が暮らす所から分離された場所におかれるのが常識となっている「墓」が、日常の営みと隣り合わせにある慶州。

生と死が本来隣り合わせにあることを強調するかのように、この映画にはいくつもの「死」と、そこに対置する生の躍動が描かれます。

先輩チャンヒの死、ヨジョンの望まない妊娠とその結末、ユニの夫の自殺、母子の無理心中、暴走族の死が描かれる一方で、陵を駆け回って遊ぶ子どもや、恋を育む高校生の姿があえて墓である陵の前で描かれ。
春画は「生」の最たるものですよね。

「高貴」とされる王陵の傍で、無数の寺の鐘を聞きながら煩悩を抱えて暮らす人々は、他の地域の人々と同じように執着を手放せず、自らの俗物性を存分に発揮しながら生きています。

昔一晩をともにした後ヨジョンを呼び出し、盛んに酒を勧めてあの日のような展開を期待した、きわめて俗物なチェ・ヒョン。

チェ・ヒョンが北京大学の教授と知るや、見ているほうが恥ずかしくなるほどのおべっかで取り入ろうとする朴教授。

いかにも俗世の俗物な二人ですが、ハンサムだからという理由だけで親切にした観光案内所の職員もそうかもしれません。

ドアをわざと半開きにして誘い込もうとした魅力的なユニを前に、性的な欲求を押さえ込むことにヒョンが成功したのは、恐らくその前に聞こえてきていた寺の鐘の音と無縁ではないのでしょう。

生きる間、絶え間なく煩悩や欲求にさらされつつ、人々はその中で自制し、行動を選択していくものですよね。煩悩を沈めようとする和尚たちの存在が意識される中では、ヒョンが煩悩に従うことが憚られるのも当然に思えます。
ヒョンは自らが俗物であるがゆえに、卑怯で無責任な欲求を無意識下に沈めるべく、もしかしたら僧侶たちが好むという黄茶(ファンチャ)を飲んでいたのかもしれません。

ヨンミンのユニへの執着や、妻を疑うヨジョンの夫の執着、亡き夫を忘れられないユニの思いや、春画に強くこだわるヒョンの姿からも、煩悩がうかがえ。

高貴な「王陵」と無数の寺を前にしても、生きている人間は人であるが故のあらゆる欲求を押さえ込むことはできない。それ自体が生きている証でもある。
生と死、静と動が自然に共存しているさまから、本来的にこれらが表裏一体のものであると語りかける映画ではないかと思いました。

が。

大きくつかめばそんなメッセージかと思うのですが、一方でそんな解釈ではきれいに解けない「謎」がこの映画にはわんさと登場するんです。
挟まれる霊的な場面。だからこそこの映画は分かりやすい映画の解釈では納得できない、何通りもの解釈を許すものになっています。
監督の仕掛けた「謎」を明かしたくて、何度も見てしまうほど。

たとえば、映画を見た人々の多くは、「ヒョンはもう死んでいる」と感じたようです。

根拠となるのが、伝統茶屋「アリソル」でヒョンが見た先輩の妻の幻覚。

この時のセリフが、この映画のすべてを説明しているとも解釈できるのです。
すなわち、ヒョンも、突然死んだ先輩のように、すでに死ぬ日を決めているのだと。恐らく、あの日あの春画に魅入られたことを契機に。
もう一人の先輩チュノは、7年前はあんなにはしゃいでいたのに、葬儀の時には春画の存在すら覚えていませんでした。

先輩の妻のセリフからヒョンが既に死んでいる、もしくはもう死んだも同然の抜け殻だと思うと、あらゆるものがそう見えてきます。

他にも、死んだ先輩に「この絵の女はこいつで、男は俺だ」と言われたことなどが意味深です。
ヒョンは自らも春画に魅了されていますし、慶州で何度も「死」に出くわしています。
僧侶が好むお茶をヒョンも好むというのも、そういう文脈なのかもしれません。
ユニの夫が自殺の数日前に持ってきたという絵を、作者の名前や画風の特徴まであげてその場で解説できてしまうことにも、勿論監督は意味を付与しているのでしょう。

ヒョンが死ぬ運命であることを示唆する数々のメタファー。
のみならず、「死をつかさどる者」であるかのようなヒョンのシーン。

冒頭、先輩の死を嘆き、自分の撮った写真が遺影になってしまったと嘆く場面がありましたが、その後、後輩のヨジョンは自分がヒョンに撮られた写真をすべて消去します。
ユニは決してヒョンのカメラに収められないよう、細心の注意を払っていました。
ここなども、ヒョンが一緒に死ぬ誰かを探していたのではないかという暗示にも思えてくるのです。二人の女性はそこから逃れましたが、ユニに関してはヒョンの醸す「死」の匂いを嗅ぎ取っていたのではないかとすら解釈でき。

と、どんどん発想が広がる私。そんな私の目には、最後、川の前に突っ立ったヒョンは、三途の川を見つけたのだとしか思えません。
ええ、私も「ヒョンは死んでいる」に一票。(笑)

中にはヒョンが亡くなっているという根拠に、ユニのあの「半ドア」行動をあげている方も見受けられるのですが、その理由が奇抜で、「あの半ドアは、ヒョンの魂に対するチェサ」だとのこと。
この解釈には、驚きました。(笑)
確かにチェサ(祭祀)の時、魂を向かい入れるためにドア(窓)を開けますが、あの行為をそれに見立てるなんて、その発想力にはひたすら感嘆です。私はチェサ説はとっておりませんが。(笑)

そうかと思えば、衣装。

この映画、実に衣装にお金がかかっていないのですが、そんな中でも際立って印象に残るのが、無理心中させられた女の子とヨジョンの服が、ともに黄色いワンピースだったこと。

確かに女の子は冥土に行ってしまいました。
となると、ヨジョンもあの世の人だったのかと思えてくるのですが、ヨジョンに関してはそう確信できるシーンがありません。
とはいえ、占いのおじいさんが既に数年前に死んでいたことなどを考えると、ヨジョン自体が幻だったのではという考えが浮かばなくもなく、謎深まります。

仏教において黄色は、高貴な色ですよね。
もっとも、釈迦の色とされる「黄色」は、もっと黄土色がかったもののようですが。

一方、ユニこそ死んでいると解釈した方も少なからずいるようで。
3年前と7年前の「アリソル」の主が、いずれもユニだったことからの発想のようですが、正直、ユニを「幽霊」にするには、これだけでは根拠が薄くないかな、という感じは否めません。たしかに、なぜ7年前の「美しい主」がユニだったのかは明かされぬまま終わりますが。
ああ、監督に聞いてみたい。(笑)

占い小屋のおじいさんの真相や、ヒョンが最後見ていた川はなんだったのか、どうして7年前と3年前、アリソルの主人がいずれもユニだったのか、など、監督が仕込んできた「謎」は何度映画を見ても解けないままですが、この映画、もっと興業的にヒットしていたら真相も明らかにされたでしょうね。

ところで、この映画、一貫して「韓国映画らしくない」と感じさせるトーンなのですが、その理由はどうやら監督にあったようです。

監督のチャン・リュルさん。
なんと、中国朝鮮族の方なんですね。
中国国籍をお持ちの、朝鮮民族。
北朝鮮への言及の仕方、視点が一般的な韓国での視点と少し違っていたのも、そういうところからだったのでしょう。
この映画の監督が韓国人ではなかったと知り、映画を見ながら終始感じていた感覚にとても合点がいきました。
冒頭でこの映画を「日本映画的な雰囲気」と称しましたが、その中身とは要するに異邦人の視点が醸す雰囲気だったのです。

チャン・リュル監督は、かつて1995年に自分が初めて韓国に来た時に、観光として薦められ慶州に訪れ、その時に感じ、経験したことをこの映画に反映させたのだそうです。
その時入った伝統茶屋の壁に、春画が実際に描かれていたそう。

生と死があまりに当たり前の顔をして共存している慶州に、かなりの衝撃を覚えたそうなのですが、7年後、一緒に茶屋に行った先輩格の方がお二人亡くなり、葬儀参列のために再び慶州に来られたそうです。その強い印象が忘れられず、映画を撮るために戻られたとのこと。

不思議な感覚を呼び起こす慶州。そこでの出来事に強くインスパイアされて映画を撮るまでにいたったということですよね。

分かります。
この慶州に対する感覚、韓国に生まれて育った一般的な韓国人にはない感覚だと思われます。

韓国人にとって慶州と言えば、「修学旅行で行った場所」。
本当に、それ以上でもそれ以下でもないことが往々にしてあります。
昔行ったので、またわざわざ行く価値が見出せない場所。
行ったそのときは全く歴史にも遺跡にも興味がない状態。
ある意味、日本で生まれ育った日本人が京都に抱く感覚に近いのかもしれませんね。
寺にも、歴史にも、全然興味なし。誰とどうやって写真撮ろうかとか、なんか面白いものはないかとか、そんなことだけで頭が一杯。
そんな年の頃に行ったことのある場所が、韓国人にとっての慶州。

外から眺める視点がなければ、こういう映画にならなかったでしょうし、そもそも慶州を舞台に映画を撮ろうとすら思わないのでしょうね。

悲しいかな、その「異邦人の視点」が韓国人に受け入れられたのかと言えば、結果は冒頭の6万3千人。
慶州を舞台にした映画は、数字だけで見れば、やはり韓国人には刺さらなかったようです。
慶州を再発見できるのに、なんとも勿体無い。
この映画、第15回釜山映画評論化協会賞で大賞、第34回韓国映画評論家賞では監督賞を受賞するなど、作品性が高く評価されているだけに、多くの人がまだ見ずにいるのが本当に残念です。

「そこにそれがある」ことが当たり前になりすぎている人たちには気づけないことって、確かにあるんですよね。

チャン・リュル監督の「異邦人な目」に共感しつつ、もう一つ共感できるのが、映画の底辺に流れる「東北アジア」という視点。

この映画、新羅時代の古都を舞台にしながら、「中国」の存在感が際立っています。
勿論、監督自身が中国朝鮮族という、複合的なアイデンティティの持ち主であることがたぶんに影響を与えていると思われますが、古代の歴史を前にすると、近代国家が政治的に利用するために語る時の「歴史」には到底収まりきらない、この地域の人の流れ、文化の継承、宗教の伝来に、監督が意図するとしないとにかかわらず自然と思いがいたってしまうんですよね。
中国語のみならず日本語も象徴的に立ち上がってくる映画に、どこかほっとする温かさが感じられます

不思議な魅力がつまった、深遠さを感じさせる映画『慶州』。
機会があれば、みなさまも是非一度ご覧になられてみてください。

最後にこの映画の予告編を貼っておきます。
貼っておきますが。

ここまで映画の雰囲気を一ミリも表現していない予告編も珍しいです。

私もこの予告編を先に見ていたら、映画を見なかったかもしれません。(笑)

覚えてる? 7年前に慶州に行ったこと。

7年前の慶州を懐かしむ男

僕の記憶だと、ここに春画が一つ描かれていたんですが。

7年前の過去を見つけに来た とぼけた男

完全に変態じゃん、変態。

変態と誤解され・・・

すみません。

なあ、ヨジョン。慶州に来れるか?

今日もここで一緒に寝ないといけないの?

昔の女に振られ

またいらしたんですね。

ちょっと写真撮ってもいいですか?

なにやってるの?

僕が本当にお邪魔してもいい場所なんでしょうか?

はじめまして。

昼間に見たときは、本当に変態だと思ったんです。

今は違うと思ってます?

独特な彼らの恋が始まる

手を見せてくれますか?

耳を一度触ってみてもいいですか?

二人の特別な時間旅行

パク・ヘイル シン・ミナ

こうなると思ってました?

慶州 6月12日公開

ぜんっぜん違う。(笑)

こんな音楽なかったと思います。
どうしてこんな編集にしたのでしょう。
それを言い出すと、映画のキャッチコピー「7年を待ったロマンティックな時間旅行」もツッコミ入れたくなるほど全然合ってません。
「どこが? どのへんがロマンティックな時間旅行?」と問い詰めたい衝動に駆られます。(笑)

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もっとも、この映画は確かにそこかしこに笑いのポイントがちりばめられていて、パク・ヘイルさんの仕草や立ち姿だけでもおかしかったり、とにかく細かくてリアルな笑いが満載なんです。

こういうユーモアのセンスも、韓国映画にはあまり見受けられないような。

パク・ヘイルさんでなければ成り立ってないんじゃないかと思われるこの映画。パク・ヘイルさんのちょっと情けない駄目男っぷりが本当に素晴らしいということも、最後に付け加えておきます。