みなさま、こんにちは。白香夏です。

早いもので、今日から4月。
関東地方は気温もあがり、ぐっと春めいてまいりました。

でも今年の春は、今までとはまったく趣きの違う春。
心からみんなで笑顔になれる春の到来を祈ります。

さて、本日は昨年暮れに出版されました私の翻訳書『幸せな通勤』についてのお話を書かせていただきます。





この本は韓国では2009年の4月に発売になり、瞬く間に6万部を記録したベストセラーです。人口比で言えば、日本では約18万部ほど売れた計算に。

改めてそう書いてみると、本当にたくさんの読者に支持された本なのだなぁと感心します。

あとがきにも書かせて頂いたのですが、私は著者で仏教者の法輪和尚さまに直接この本をいただきました。
ちょうど2009年6月の頃です。

法輪和尚さまとはかねてより通訳として交流があり、それまでも何冊か著作を頂戴しておりましたが、実は私はそれまで頂いた本を一冊も読んでおりませんでした!(和尚さま、ごめんなさい!)

法輪和尚さまは本当に素晴らしい人格者で、アジアのノーベル平和賞と呼ばれる誉れ高いマグサイサイ賞も受賞されたことがあるほど、国内外を問わぬその献身的な人道支援に国際的な評価を受けていらっしゃるかたです。

……が、私は宗教に敷居の高さを感じてしまうタイプであったため、読んでもみる前から「むずかしそう」との先入観で避けていたのです。

この本に関しては「サラリーマンに対する人生相談だから読みやすいですよ」と法輪和尚さまがおっしゃったのもあり、頂いてすぐ本を開いてみたのですが、目次に目を通した瞬間に「これは面白い!」と予感しました。

和尚さまと別れてすぐ読み始めたのですが、もう二時間後には号泣。


……すみません、号泣は嘘です。号泣するような類の本ではありません。ですが、本当に身につまされるようなことばかりが書いてあり、「これはすごい本に出会った」と思いました。

この本を絶対翻訳するぞと決め、その後運よく出版社さまとも巡り合えたおかげで、この本を皆様にもお届けすることが出来ました。にわか仕込みの仏教風に言うならば、この世のご縁に本当に感謝、です。

さて、翻訳書には紙面の関係上載せられなかったのですが、この本には推薦文がついてました。

ノ・ヒギョンさんという韓国の有名なドラマのシナリオライターが寄せた文です。

この文がとっても良くて。

ノ・ヒギョンさんといえば、ヨン様が一番好きなドラマだと自ら語っているという『愛の群像』や、ちょっと前ですとヒョンビンさんとソン・へギョさんが主演した『彼らが生きる世界』などの作品を手がけた有名脚本家。

そのノ・ヒギョンさんは法輪和尚さまのヒューマンな説法にガツンとノックアウトされたようで、以来たくさんの韓流スターとともに法輪和尚さまの活動をチャリティーなどで支援しています。

その推薦文全文を訳しましたので、ご紹介します。

この推薦文を読んでいただけば、『幸せな通勤』がどのような本なのか、おおよそお分かりになると思います。

人と争わずに生きる。他者をいつくしんで暮らす。

これからますますそんな心のありようが問われる時代になりますね。


私は母をとても尊敬している。

その母はこれまで一度も私に「必ず他人を打ち負かしなさい。どんな手を使ってでも成功しなさい。他人に親切にしてもなんの得にもならないのよ」などと言ったことはない。

けれども私はどこでどう間違えたのか、いつも人に勝とうとし、時には人が挫折した姿を見て喜び、必要最低限の配慮しか人にしない、きわめて情けない大人になってしまった。


厄介なのは、こうした恥ずべきところを自らカバーする技術ばかり日に日に進化してしまい、誰も私が本当はそういう人間であることに気がつかないということだ。

私は三七歳になるまで、それなりにまっとうな人生を送れているかのように、他人も自分自身をも騙〔だま〕して生きてきた。


そんなある日、法輪和尚に出会った。

正直に言うと、法輪和尚との出会いの第一印象は、それほど心地いいものではなかった。

もう少し本音を言うと、よくなかったどころか無性に腹がたち、腹がたちすぎて病気になりそうだった。
しかもその腹立ちは一日二日ではなく、百日も千日も続いた。


もの書きとしての自分の才能に得意になり、まるで世間の人々の師匠にでもなったかのように意気揚々としていたあの頃。

本を何冊か読んだだけで世の道理のすべてを分かったような気になっていたあの頃。

なぜ私が、なんの因果でこんなに心を波立たせる人に出会ってしまったのだろうと、繰り返し自問した。

そしてその答えがわかった。

「私は生きようとしていたんだ」。


今思えば、「ずいぶん失礼なことを言うお坊さんね」と背を向けることなどいくらでもできたのに、なぜ腹をたてながらも法輪和尚の本を読みあさり、話を聞こうとなんども足を運んだのかと言えば、おそらく私は自分でも気づかないうちに切実な思いをたくさん抱えていたのだろうと思う。

あの頃の私は本当に寂しかったし、まっとうに生きたいと切実に願っていたし、仲たがいしてしまった人と仲直りしたかったし、幸せになりたかったのだ。


このごろの私はというと、なにかにつけては法輪和尚の本を手に取るようになった。

本を読んでいるあいだ、相変わらず自分自身の中に愚かしさという名の膿〔うみ〕がたっぷりとこびりついていることをまざまざと確認させられるのだが、もう以前のように腹をたてたりはしない。
腹がたたないどころか、読みながらニヤニヤしたり、安堵をおぼえたりするようになった。

たぶんそれは、私の中の膿を出しきるために、和尚様がチクリチクリと治療してくれているのを、ありがたく感じられるようになったためだろう。


自分だけが正しくて他人はみんな間違っているという慰めを聞きたがっている人にとっては、法輪和尚の言葉はもしかしたら耳障りなものかもしれない。

いつでも人に勝ちたくて、他人に勝つことだけに喜びを見出すような人にも、読み捨てられる多くの本と同様、この本も特別な意味を持たないかもしれない。
お金と名誉を得るためにあくせくしている人にも、この本はとりたてて感動的なものとはならないだろう。


でも、自分の好きだった人たちと知らず知らずのうちに心が離れてしまったことが残念でたまらない人や、切実に幸せになりたいと望んでいる人や、一度でいいから自分自身の中から希望を見出したいと強く願う人々にとっては、きっとこの本は大いに慰めとなるだろうと私はためらわず断言する。

ノ・ヒギョン(ドラマ脚本家)