みなさま、こんにちは。
関東地方、本日は爽やかな秋晴れです。
連休なので、行楽地にお出かけの方も多いのではないでしょうか。

さて、今日は『姫の男/王女の男』に出てくる漢文の詞について書いてみようと思います。
最終回のラストシーンをナレーションで印象的に締めくくった「情とは」の一節です。

このシーン、韓国語のセリフはこのようになっています。(ハングルが出なかったらごめんなさい。パソコンからアクセスしてみてくださいませ)

정이란 대체 무엇이냐 세상을 향해 묻습니다.
나는 대답할 것입니다.
우리로 하여금 아무런 망설임도 없이 삶과 죽음을 서로 허락하는 것.
그것이 바로 정이라고.

私はこの部分を前回の記事でこう訳しました。

情とは何ぞやと、この世に問います。
吾は答えます。
我々をして、何事にも戸惑うことなく、生と死を互いに許しあうこと。
これぞまさしく情であると。

この詞は7話でも出てきましたよね。セリョンとスンユが岩場で過ごしながら。

原典は元好問(1190年生-1257年没)という金朝の高名な詩人が1205年に書いた『雁丘詞』で、『邁陂塘』という元好問の詩集に収められたものだそうです。ドラマではここから冒頭部分を引用したのですね。

『雁丘詞』
問世間 情是何物 直教生死相許               
天南地北 双飛客 老翅幾回寒暑 
歓楽趣 離別苦 就中更有痴児女
君応有言 渺萬里層雲 千山暮雪 隻影向誰去

橫汾路 寂寞當年蕭鼓 荒煙依舊平楚
招魂楚些何磋及 山鬼自啼風雨
天也妬 未信與 鶯兒燕子俱黄土
千秋萬古 爲留待騷人 狂歌痛飮 来訪雁丘處

この詞にはこんなエピソードが残されているそうです。

科挙の試験を受けに行く途中、雁を狩っていた男に偶然出会った元好問は、男から「つがいの雁を捕らえたのだが、一羽は逃げ、一羽だけが捕まって死んだ。ところがかろうじて逃れた雁は遠くへ逃げようともせず、悲しく鳴きながらいつまでも死んだ雁の傍を廻旋し続けている。ついには地面に頭を叩きつけて自ら死んでしまった」との話を聞きます。
元好問はいたく感動し、つがいの雁の死骸を水辺に埋め、石を置いて塚にしました。雁の墓との意味で「雁丘」と名付け、のちに自らの詩集に『雁丘詞』と名付けた詞を残したそうです。

ドラマの中では、恋愛の歌として完結させる形で引用していますが、「情とは果たして何物であるが故に、互いの生死を委ね運命を共にさせるのだろうかと、私は問いたい」といったニュアンスでしょうか。
詩集『邁陂塘』が実際に朝鮮半島に紹介された時期までは把握しておりませんが、約二百年前に名声を轟かしていた金朝の詩人がこの時代の朝鮮王朝でも知られていたという設定だと思います。

この詞は1959年に当時香港在住の作家・金庸が発表した武侠小説『神雕侠侶(しんちょうきょうりょ)』の中で取り上げられたことで有名になったそうです。金朝が滅びたあと、売国奴の息子として過酷な運命を背負った少年・楊過が美しき年上の師匠・小龍女と出会い、禁断の恋に落ちながら「神雕大侠」と呼ばれる伝説の英雄となるまでを描いた武侠小説だそうですが、その後2006年に中国でドラマ化された時もドラマの重要なモチーフとしてこの詞が主要な登場人物(李莫愁)により諳んじられています。
中国ドラマ『神雕侠侶』をご覧になった方なら、「情とは」の一説を聞いてすぐお分かりになったことでしょう。なにしろ原作小説の人気もさることながら、中華圏13億人が熱狂したドラマだそうですので。

陶淵明や杜甫の詩に造詣が深く、その名声が南宋にまで轟き渡っていたという元好問。
金が元によって滅ぼされた当時、金の官吏だった元好問は、その類まれな才能を買われ元の官吏にと請われますが、滅びた金への思いからこれを固辞し、生涯を文人として送ったそうです。

さて、7話の中でスンユが詠んだ詞にも触れてみます。

韓国語でのセリフは、こうなっていました。

내 마음을 바꾸어 그대 마음이 되고 보니 비로소 서로 그리워함이 이리 깊었음을 알겠다.

ドラマのセリフに沿うと「私の心をあなたの心に変えてみて、はじめて互いに想い合う気持ちがこれほど深かったのだと分かった」といった訳になるでしょうか。

こちらは蜀の詞人・顧夐(こけい)の『訴衷情』という詞の最後の一節を引用したものです。『訴衷情』は『花問集』という晩唐五代の詞人の作品を集めた詞集に収められているそうです。

『訴衷情』
永夜抛人何處去 絶來音
香閣掩 眉斂 月將沈
爭忍不相尋、怨孤衾
換我心 為你心 始知相憶深

永き夜 私をうち捨ててどこへ行ったのでしょう
戻ってくる足音も途絶え
香しき楼閣は暗闇に包まれて眉をひそめるも
月はまさに沈み
あなたが訪れぬことが忍び難く
独り寝の夜を恨みます
私の心とあなたの心が換われば
互いの想いの深さがようやく分かるでしょう

およその意味はそんなところでしょうか。
この歌は男性である作者が女性の気持ちを歌ったものだそうです。

セリョンとスンユが「姫とお師匠様の講義ごっこ」で互いに詠みあっていた詞も、出典に触れるとまた違った味わいを感じますね。
実に高尚なごっこ遊びです。

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『姫の男/王女の男』は中華圏でも親しみをもって迎えられるのではないかと想像します。
これを機に、『姫の男/王女の男』が伝えた詞の世界にも触れてみたくなりました。

では、最後に、「情とは」を諳んじる最終回の二人のシーン、動画を貼り付けておきます。

*リンク切れのため、動画を差し替えました。
you tubeのDrama KBS公式動画へのリンクは、コチラです。