みなさま、こんにちは。

週末ごとに台風に見舞われる今日この頃ですが、みなさまお住まいの地域は大丈夫でしたか?
夏に舞い戻ったかのように暑くなったりと変わりやすい天候ですので、みなさま体調管理にはどうぞお気を付けください。

さて今日は、現在各地で順次公開されている映画『1987、ある闘いの真実』について、俳優たちの出演にまつわるエピソードやモデルとなった人物などについて取り上げてみようと思います。
映画を未見のみなさまにはネタバレとなりますので、ご留意くださいませ。

***この記事は映画のネタバレを含んでいます***

 

9月8日から公開が始まっているこの映画。

既に観に行かれたという方もいらっしゃるかと思います。

今日書く内容は、映画をご覧になられた方々向けのものになりますので、まだご覧になられていない方はここで閉じていただくか、薄目を開けてお進みくださいませ。

と毎度の口上を述べたところで。(笑)

 

1987年の韓国情勢を背景に、実際にあった民主化を求める大きな学生・市民のうねりを描いたこの映画。

ご覧になられた方々はお分かりのことですが、この映画は実に多くの出演者が現れては消え、また現れては消えていくつくりになっています。

映画がチャン・ジュンファン(장준환)監督によって構想されたのは、まだ朴槿恵が大統領として権勢をふるっていた頃。
のちにロウソクデモの力で弾劾されるに至る朴槿恵は、就任当初より大統領秘書室をあげて1万人にも及ぶ文化・芸能分野のブラックリストを作成し、政権の意にそぐわないと判断した人々に不利益を与えていました。
映画紹介記事でも書いた通り(記事はコチラ)、映画の最初から最後までを貫く悪辣な対共捜査署長パク・チョウォンを演じたキム・ユンソクさんが最初に監督から映画の構想について聞かされた時、そんな映画を作るのは無理だと驚いたのにも、そうした背景がありました。

投資も集まらないだろうし、完成度も心配だったというキム・ユンソクさん。歴史の事実に泥を塗ってはいけないと、制作側と俳優が力を合わせたと語っていますが、拷問死させられたソウル大生のパク・ジョンチョルさんは、キム・ユンソクさんの同じ高校の2つ上の先輩。
パク所長をやると決めてからはパク・ジョンチョルさんのお父さんに会いに行き、自分がパク所長を演じること、演じるからには徹底的にやるつもりであることを伝えたそうです。

 

 

 

 

映画の中でパク所長は富裕な地主の息子だったものの朝鮮戦争で家族を失い南側に逃れてきた筋金入りの反共主義者で、自らを「愛国者」と自負し、骨の髄まで権威主義的な組織人として描かれています。パク所長の姿から、この時代に人々が戦った相手とは分断の産物であるこうした極右勢力であり、暴力と位階を重視する権威主義的な官僚勢力であったのだと、映画は明確に示していきます。

 

実際のパク・チョウォンも映画と人物像がかけ離れることなく、この件で拘束されたのちも一度も反省する姿を見せず、1996年に懲役1年6か月、執行猶予3年を宣告され、実刑を逃れています。

 

 

 

パク・チョウォンはパク・ジョンチョルさんの事件を受けて退職後、後任の治安本部長を通じてカジノ業者から10億ウォンをせしめ、その中の一部を自分の右腕でパク・ジョンチョルさんを拷問死させたことなどで起訴され逃亡中だった拷問技士イ・グンアンの妻に逃走資金として渡すなどし、犯人隠匿罪で99年に再び懲役1年執行猶予2年の宣告を受けています。拷問技士イ・グンアンの逃走自体も、パク・チョウォンが仕向けたものであることが分かっています。
人の命を奪い、カジノ業者から巨額の黒い金をせしめても、実刑には処せられないわ、犯した罪に謝罪もしないわな筋金入りの黒い人生を送ったパク・チョウォンは、既に他界しているとのことです。

 

一方、キム・ユンソクさんと同時期に映画への出演を快諾していたハ・ジョンウさん。

 

 

 

 

インタビュー記事によると、ハ・ジョンウさんは先に映画出演を決めていたキム・ユンソクさんに呼ばれ、監督と3人でマッコリを飲みながら映画についての色々な話を聞き、出演を決めたそうです。

ハ・ジョンウさんは、次々と人が入れ替わることで映画の流れが悪くなりはしないかと心配していたそうですが、完成版を見た後、杞憂にすんだと胸をなでおろしたとか。

 

ハ・ジョンウさんが演じた公安担当のチェ・ファン検事も実在の人物で、のちに全斗煥、盧泰愚元大統領を拘束した人物でもあります。

 

(写真は©tbs交通放送コン・ヘリム記者)

 

今年の7月28日、故パク・ジョンチョルさんのお父さんが亡くなられ、斎場に現れたチェ・ファン元検事は、芳名録に次のように記します。


이 땅의 우리 아들딸들이 고문으로 목숨을 잃는 일이 다시는 없게 인권이 보장되고, 정의가 살아있는 민주화 운동을 위해 목숨을 바친 아드님 곁으로 가시어 영면하시옵소서.

1987년 당시 담당 검사 최환 합장

この地の我が息子、娘たちが拷問で命が奪われることが二度とないよう人権が保障され、また、正義ある民主化運動のために命を捧げたご子息の傍に行かれ、永眠なさいますよう。

1998年当時担当検事チェ・ファン合掌

 

パク・ジョンチョルさんの死が、決して唐突なショック死などではなく拷問によるものだと見抜き、万難を排して検事の本分をまっとうしたチェ・ファン検事。
映画ではすぐに弁護士になっていましたが、実際にはパク・ジョンチョルさんの事件の後にも検事を続けていました。

 

ソウル大生拷問死の真犯人が他にもいるという事実を外部に伝えた、ユ・ヘジンさんが演じた看守ハン・ビョンヨン。
こちらは、永登浦刑務所の看守として働いていたハン・ジェドンさんと、看守を退職したチョン・ビョンヨンさんを合わせたキャラクターでした。

 

 

 

こちらがハン・ジェドンさん。
写真出典はコチラ

 

 

 

74年に情報機関による報道規制に抗議し東亜日報を不当解雇されたのち、言論人として民主化運動を行い収監を繰り返されていたイ・ブヨン記者に、パク・ジョンチョルさんの拷問死について伝え、民主化運動活動家で手配中だったキム・ジョンナムさんにイ・ブヨン記者からのメモを伝える役割を果たしたハン・ジェドンさんとチョン・ビョンヨンさんは、事件から20年経つまで自分たちの功績をどこにも語ることなく生きてこられました。

当時、これが見つかれば自分も殺されるかもしれないと覚悟しながらも、「怖くはなかったです。もう命を懸けてしまっていたので」と2007年にインターネット新聞「オーマイニュース」に語っていたハン・ジェドンさんです。

 

ちなみに、外にいる民主化運動同志に真実を託したイ・ブヨン記者を演じたキム・ウィソンさんは。

 

 

 

チャン監督曰く、キム・ウィソンさんは出演依頼の電話を掛けた時「待ってました」と即答だったそうです。

悪役が多いけど、実はかなりの正義漢。(笑)

 

ちなみにこのイ・ブヨンさんという方は、のちに民主党系の国会議員になり1992年より3期連続議員を務めます。

 

 

 

イ・ブヨンさんがメモを託した民主化運動家のキム・ジョンナムさん。

イ・ブヨン記者とは同じ1942年生まれ、同じソウル大という間柄。

映画の中ではソル・ギョングさんがキム・ジョンナムさんを演じていました。

 

 

 

「ここでソル・ギョングが来るのかぁ!」

の映画館の低いどよめきを思い出します。(笑)

 

キム・ジョンナムさんはソウル大生だった1961年、軍事クーデターにより政権を奪取した元日本軍将校の朴正煕が、自身が進める日韓国交正常化交渉に「屈辱的な日韓会議に反対する」と激しく反発した大学生および市民の1万人デモ(1964年6月3日)を制圧するためソウル全域に戒厳令を宣布しソウル市内に兵力を投入したいわゆる「6.3事態」で当局にデモの首謀者と目されて投獄され、以降長らく投獄と手配、逃走を繰り返してきた人物で、前面に姿を現さずに民主化運動を支援してきたことで知られています。
その功績から「民主化運動のゴッドファーザー」と呼ばれることも。

 

 

 

 

次の写真は、「6月民主抗争」から30年目を目前にした2017年6月にイ・ブヨンさんとキム・ジョンナムさんが「6月民主抗争」の舞台となった明洞聖堂前で当時を回想している様子。

出典はハンギョレ新聞のコチラの記事。

 

 

 

この明洞聖堂は87年の6月10日から15日まで、数百人におよぶ学生と市民が枢機卿の保護のもと籠城した場所です。

「6月民主抗争」の立役者であったイ・ブヨンさんとキム・ジョンナムさんは、いずれもあの熱い熱気の中に身を置くことが出来ませんでした。
イ・ブヨンさんは収監中の身、かたやキム・ジョンナムさんは指名手配され、身を隠していたからです。
歴史が大転換する瞬間を作り出しながら、その現場に居合わせることが出来なかったお二人の現実からも、当時の状況の厳しさがうかがい知れます。

 

ところで、映画をご覧になった方のうち、なぜ教会にと思われた方もいらっしゃるかもしれません。
明洞聖堂はカトリックの聖堂なのですが、1970年代以降は民主化運動の「聖地」として何度も機能してきた場所でした。
たとえ軍部独裁政権でもおいそれとは踏み込めないこの場所で、70年代以降民主化運動の歴史的な数々の場面が刻まれてきました。

教会だけでなくお寺も同様の機能を果たしていましたが、聖職者、宗教者が民主化運動への弾圧に抗議し、直接的に示威行動に出る場面も、韓国では多くみられるものです。

明洞聖堂と言えば。映画の中でソル・ギョングさん演じるキム・ジョンナムがハム・セウン神父を通じて真実を伝え、最終的に明洞聖堂でパク・ジョンチョルさんの死の真相に関する声明文が読み上げられますが、声明文を読み上げるキム・スンフン神父役を演じたチョン・インギさんも、監督に自分から連絡し、この映画の出演を願い出たそうです。

 

 

 

 

劇中のスチール写真がなかったので、700万人突破記念写真をば。(笑)

優しいお顔なのに、この方も熱い方なのですね。

 

ちなみにこちらがキム・スンフン神父が声明文を読み上げる実際の場面。
「カトリック正義具現全国司祭団」のキム・スンフン神父は、1987年5月18日、光州民主化闘争7周年のミサで、パク・ジョンチョルさん拷問死に加担したのは、警察発表の2名ではなく合計5名であることを声明で暴露しました。

 

 

1974年、鮮明な反独裁と民主化を掲げた「カトリック正義具現司祭団」の創立(当時神父800人中500人が参加)を導いたハム・セウン神父の回顧録『この地に正義を/이 땅에 정의를』(2018年8月刊、邦題仮)によれば、この時キム・スンフン神父は投獄を覚悟の上でこの役割を引き受けられたそうです。

勇気ある方々の投獄や死をも覚悟した踏ん張りによって、本当にギリギリのところで真実が世に伝えられていたのだなと改めて思います。

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インタビューの中で、「出演すると決心して以降、一週間単位で『〇〇も出演を決めた』との知らせが入ってきていた」と語っていたハ・ジョンウさん。

「僕もキム・ユンソク先輩も、みんなが監督を信頼していました。こんなに熱い話をチャン監督が作っていくというので、みんなためらわず賛同したんだと思います」。

そうなんです。
取り上げるべき人が多くて、とても1度では書ききれないことが判明。(笑)

引き続き②で取り上げていきます。